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1959年、のどかな田園風景の広がるカンザス州ホルカムで、平穏に暮らしていた一家が強盗に入った青年2人に惨殺される。犯人の1人のペリー・スミスに惹かれた作家のトルーマン・カポーティは、のちの1966年に『冷血』と名づけて発表するまで、この事件の取材に没入してゆく。カポーティは言う。「例えるなら、僕たちは同じ家で育ったけど、ある日ペリーは裏口から出ていって、僕は表玄関から出ていったんだ。」 その「同じ家」とは、子供時代に母親に育児放棄されたことだが、その他に、現在の彼らの人間全般に対する心根の冷たさも共通しており、むしろ後者のほうが印象に残る。たとえば、彼らは何度も面会してプライベートなことも話すが、なぜか被害者について語るという当然あるはずのシーンがなく、それも彼らが意識的に避けているのでもなくて、なんとなくお互いに忘れがちになっているようなのだ。彼らは一家が被害者だという事実は認識しているが、それ以上の個人的な感情はほとんど湧いてこないらしい。そもそもカポーティがこの事件に興味をもったのも、通常の悲しみや憤りではなく、一家の不幸に自分の不幸を見るかのような一種のカタルシスを覚えたからだった。 そんな彼らは、しかし「表玄関」と「裏口」とに分かれて出ていった。分かれ目となったのは知能だ。表玄関から出たカポーティには類稀な知能があり、すでに『ティファニーで朝食を』などで人気作家になっている。しかしカポーティもあまり幸福そうには見えない。たとえば彼はニューヨークの社交パーティの常連で、セレブたちは彼をとりかこんで彼の巧妙で卑俗なジョークを楽しんでいるが、そんなときの彼の笑顔は、セレブたちに彼らの密かな好物である下品な話を餌づけしてやっているような嘲笑に見えなくもない。また、彼にとって彼の知能は生活手段である以上に精神的な意味での生きるよすがでもあるらしく、彼は人の知能にも関心が高いようで、ペリーが裁判中に落書きに夢中になっていることには憤りも何も感じないが、充分な教育を受けていないペリーが少しむずかしい言葉を使った瞬間にはすかさず耳を疑う。あるいは、暴力も知能で行う。たとえば、カポーティとペリーが話しているとき、「増長」という言葉を使ったペリーが親切心で平易な表現に言い直すと、カポーティはケンカを売られたと誤解して、「不合理という言葉は知っているか?」とやり返し、そういう暴力のふるい方を知らないペリーがカポーティの問いをそのまま受け取ったので、カポーティは一人だけ下品になる。 そしてまた、カポーティと小説との関係も、しだいに濁りを帯びはじめる。最初はペリーと出逢えたことに少なからず感動を覚えていたものの、そのうちノンフィクション・ノベルとみずから名づけた新ジャンルを確立することに主眼を置き、小説を書くのに必要な分しかペリーと接しなくなり、ペリーの心を開かせて必要な情報を聞きだすという知的戦術に集中するあまり、その行為のもつ欺きの性質を内省することもなく、ペリーの処刑が小説のクライマックスであるために裁判が長引いて処刑が延期されることに不満を抱くようになる。他に問題があってもともかく作品の中では誠実でいるのが芸術家の信条だとすれば、少なくとも『冷血』において、カポーティは作家ではあるが芸術家ではなく、むしろ作家というより作戦家であり、彼は自分の知能がもっともよく引き出されるのが小説だと知っているからそれを手段として使っているだけで、彼の本当の目的は自分の知能で人間全般に影響を与えることであり、彼にとっては地位や名誉や財産もそれ自体に価値があるのではなく、自分の知能の影響力を示す基準として初めて価値をもつもののようだ。 しかしまた、そんなカポーティは、尊大さを見せつけるほど傷つきやすそうに見え、作家としての野心はあってもその根底で人生を放り投げているようでもある。母親に愛されなかった絶望から、せっかくの天与の才能もどこか弄ぶように発揮して、人生にはもうそんなものしか残っていないというような、傷ついた少年のような魅力ももちあわせている。だから親身になって近づいてくる人もいるが、そうした人もやがて疲れさせられて去ってゆき、彼の周囲はますます低俗なセレブばかりになってゆく。 しかし、ペリーの犯行の証言によって、カポーティは自分が本当に求めているものを疑いはじめる。犯行時、強盗目的で押し入ったペリーは、一家を殺さずに引き上げようと途中までは冷静だった。しかし、一家の父親の眼に善良さを見た瞬間、ペリーは何とも言いようのない気持ちになり、衝動的に一家全員を惨殺したのだ。何もしていない相手に一方的に狂暴になるのはむずかしい。理屈にはならないが、その瞬間、父親の善良な眼がペリーにとっては強烈な暴力になったのだろう。おそらくペリーは、不幸な生い立ちを知らない者の善良さを見たのだ。 そして、ペリーが打たれたものに今度はカポーティが打たれる。カポーティの欺きを見抜けず唯一の理解者だと信じているペリーの眼は、彼がかつて被害者の父親の眼に見た<知らない者の善良さ>を湛えて、死刑の前に感謝を込めてカポーティを見つめる。その眼は真相を知った瞬間になくなるはずの脆いものだが、その眼に見つめられたカポーティは自分が同じ家からたった一つだけ持ち出せなかったものを発見して愕然とする。そしてこの映画は、「『冷血』以降、カポーティはひとつも長編を完成させられず、アルコール中毒で亡くなった」と結んでいるから、監督は『冷血』での経験によってカポーティがゆっくり死滅していったと考えているのだろう。露悪趣味で知能をひけらかしていたカポーティの城は、だからすでに壊れそうな気配ではあったが、崩落を決定づけたものは、彼が<知らない者の善良さ>を発見したことだったのかもしれない。 表玄関から出た人生にも、裏口から出た人生にも、背後に潜む同じ家が暗い影を落とした。カポーティもペリーも母親が弱い存在だったのを知っていたが、それでも母親の愛に飢えた孤独な子供時代を知ってしまったことが、人間全般に対する心根の冷たさになって彼らの人生につきまとった。不幸な生い立ちを知らない者に善良さを見出すことは、彼らにとって、絶対に手に入らないものを見るような暴力的なものにも感じられただろう。知るということは、もっとも身近な取り返しのつかないことでもある。無知ほど怖いものはないというのが真実だとしても、生きている人間は心という限界をもつから、個人の一生においては制限つきの真実かもしれない。 (2008/02/12) |
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