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肉体が疲れきり、眼の焦点を結ぶのが遅れがちであるかのような全編にわたるスローモーションが、生き急ぐ私たちを今は休むときだとなだめる。冒頭のサントラになる時計の秒針の音は、正しい一秒間より間隔をあけて、眠る赤ん坊の安心しきった呼吸のように、ゆっくり濃密に時を刻む。愛しあう男たちのほかには女性がひとりも登場しないが、初老の女優がナレーションとしてシェークスピアのソネットを朗読する。年齢を重ねた穏やかな声に読まれる恋愛詩は、性別を超越した愛の響きとなるが、かなわぬ恋に疲れきった詩情にふさわしい、今にも眠りに落ちそうなささやきだ。撮影用のカメラはデレク・ジャーマンの映画になくてはならないスーパー8(1965年にコダックから発売された家庭向け8mmムービーカメラ)が用いられ、特有の粒子の粗い褪色した色合いに、えもいえぬ寂しい懐かしさで私たちの心はやさしくひらかれ、静かな波のように哀愁が寄せてくる。 みずからがゲイであることを明言したデレク・ジャーマンによるこの実験的映画は、誰ひとり声を発することなく、シークエンスの脈絡もない。ただ黄昏色にひたされた殺風景な空間で、ゲイの男たちの姿が断片的につづられるだけだ。肩に荷を負い、鉛の足どりで歩いてゆく男、憔悴しながら瓦礫の山を登ってゆく男など、ゲイとして社会で生きることの辛さを象徴する前半。後半は、敬愛する男を王に見立てて体中に口づけを捧げる男、愛しあう二人が互いに自分の愛で相手をくみふせようと、しなやかな肉体を攻撃的にからませあう獣のような戯れなど、同性愛者も異性愛者もわかちあえるはずの純粋な愛の精神をつづる。 後半のささやかな平安は、まるで世界の片隅にひっそりとたたずむ美しい小箱のようだ。けれど圧倒的な悲哀が私たちの心を震わせる。眠りの中で夢だと気づきながら見る夢のように、哀しげな男たちは、このあと不寛容な社会に戻らねばならないことに気づいているのだろう。だからこの美しい小箱の中では、切なく刹那に、純化した愛が静謐にはぐくまれる。そして、ときおり鏡を持った男がまっすぐに私たちを見つめ、反射光を向けてこちら側と交信しようとする。彼らが外の世界を許されることより、せめてこの美しい小箱の平安が守られることを、絶望と紙一重の祈りにこめて。 (2004/09/30) |
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