出勤時、最寄のバス停に着くなり、僕は日経を広げ、「私の履歴書」から読み始めます。 今月は作詞家で作家の阿久悠氏であり、作詞家となるまでの意欲的な 半生記が綴られております。無名時代の奮闘もさる事ながら、広告代理店時代に、 後の劇画家上村一夫氏との運命的な出会いが書かれてあり、ここで一気に、僕は上村氏の作品と 1970年代の世界に引き込まれました。
先ず、上村氏について、ネットからの 引用文を御紹介します。
上村一夫(1940〜86)は、67年にデビューしてから生涯を通して、男と女の織りなす、
移ろいやすい愛のさまざまな形を、独特の官能をたたえた流麗な描線と斬新な表現法
で描きつづけ、"昭和の絵師"と称され、このジャンルで追随を許すことのない稀代の
漫画家です。特に、72年から『週刊漫画アクション』(双葉社)に連載された「同棲時代」は、
OL・今日子と無名のイラストレーター・次郎の"同棲"生活を軸に、男女の愛の美しさと強さ、
はかなさ、残酷さといった諸相を描き出し、当時の若者風俗に多大な影響を及ぼしました。
上村一夫の世界展
2002年10月29日(火)〜2003年1月26日(日)
川崎市市民ミュージアム 漫画ギャラリー
美大時代に、上村氏は阿久悠氏の勤務先でバイトをしており、昼休みには阿久氏の作詞に、 ギター名手の上村氏が曲を付け、即興の歌を楽しんでいたとか。この御縁で、阿久氏は当初 上村氏と、作詞/作曲の相棒として考えていたようです。ところが、氏の言葉を引用すると、 流れが変って行ったのです。
僕は上村一夫を探していた。作詞を一つ二つ手掛けた頃で、このまま作詞をつづけるには
相棒の作曲家が絶対に必要だと思い、かつて同じ会社にいてギターの上手かった上村一夫の
ことを思い出したのだ。
しかし、久々に会って話しているうちに、作曲の話はどうでもよくなり、「俺がストーリーを書く。
君が絵を描け」ということになり、それを当時最も人気のあった「平凡パンチ」に上村が持ち込んだ。
これが、一九六八年一月から連載を始めた「パラダ」である。ぼくが三十一歳。上村一夫が
二十八歳、二人とも劇画に関係なく、ただ面白そうだからやった。
阿久悠
こうして、「平凡パンチ」に連載されたのが 劇画「パラダ」であり、 上村氏の作品は次第に注目を 集めるようになりました。そして、そうした中で「同棲時代」が登場した訳です。この作品は、連載が開始された 翌年に松竹から映画化されました。由美かおるさんが主演され、彼女の美しいヌードがスチール写真になっています。
監督:山根成之
原作:上村一夫 脚本:石森史郎
出演:由美かおる/仲雅美/大信田礼子/入川保則
概要:不確かで不安定な愛だからこそ、緊張感があって打算ぬきで純粋になれる。
若者の愛のかたちを描く。
ここで、この作品の持つ「時代的意味合い」を考えてみようと思います。「同棲」という男女の 関係が、社会的に顕在化して来たのがこの頃でした。以前書いていた僕の連載「ときめきの ページ」でも、この作品を取上げましたので、その部分(第4章「連載−その17」より) を引用してみましょう。
・・・・・この連載のテーマは、「既婚女性の生き方と恋愛について」ですが、「恋愛」だけに注目すると、
「既婚女性の恋愛」というよりも、日本において「恋愛」自体に市民権が与えられたのは、
結構最近のことのように思います。勿論、我々の両親の世代や、それ以前においても「恋愛」
は存在していたのですが、結婚の大半が「見合い結婚」だったことを考えると、普通の男女が
大手を振って交際出来る世の中になったのは、戦後も暫らく経った頃だと思います。
僕の世代になると、学生時代に恋愛を経験することが珍しくなくなりましたが、そういうカップル
を見ていると、学生時代の恋人同士が、そのまま結婚するというパターンが多かったように
思います。勿論、それは素晴らしいことなのですが、どこか、「婚前交渉したら結婚せねばならない」
という暗黙のルールがあり、女性の方も、「結婚するなら許す」という雰囲気が感じられました。
「同棲時代」という劇画がブームになり、"南こうせつ"の「神田川」がヒットしたのも、それまでは
「同棲」自体がありふれたことではなかったからであり、このこと一つ取り上げても、日本の社会が
「恋愛」に関して如何に窮屈だったかが覗えます。・・・・・
「同棲時代」の主人公−今日子と次郎−は、僕と同世代の人達です。確かに、この時代を過渡期 として、「同棲」は社会現象として認知され始めるのですが、平成になってからの「同棲」とは異質な ように思います。一言で言えば、「暗さと貧しさと、後ろめたさ」が漂っているのです。
先ず、当時の「同棲」について申しますと、大体三つのパターンがあったように思います。一つは学生 同士の同棲で、殆どは地方から都会の大学に進学し、最初は夫々下宿や学寮に入るのですが、 色々なきっかけで恋に陥り、一緒に住み始めるというケースです。「ときめき」にも書いたとおり、 そのまま結婚するというパターンが多く、そうならなくても、爽やかに別々の道を歩き出すケースが 殆どでした。
次にあったのが「神田川」のパターンです。男は学生で、女性は働いているというケースが多く、 大概女性は、幾分恵まれない境遇の方だったようです。「若かったあの頃、何も恐くなかった。 ただ、あなたの優しさが恐かった。」という歌詞に象徴されるように、「今の幸福は長続きしない」という 予感を抱きつつ、今を精一杯生きる健気な女性達だったと思います。殆どは男が就職すると同時に、 別離がやって来ました。
そして、三番目が「同棲時代」のパターンです。多くの場合、男の方は「無名のイラストレーター・次郎」 というように、普通のサラリーマンではありませんでした。いや、普通のサラリーマンを嫌い、自ら好きな道を 選んだのですが、世の現実は厳しく、焦りを感じながら生きていたようです。それに対し、女性は普通のOL というケースが多く、夢を追う彼に共感を覚え「同棲」を始めるのですが、「生活」という現実は重く、 男が仕事に行き詰まったり、女性が妊娠するという試練に耐え切れず、お互いに心の傷を 負ったまま別れて行きました。多くの場合、もう少し経済的に余裕があれば、別れずに済んだように 思います。特に女性の場合、実家からは勘当同然で同棲に踏み切ったケースが多かったで しょうから、実家に戻ることも難しかったように思われます。
その後時代は進み、80年代から90年代には社会も豊かになりましたから、自営業の若者も生活に 余裕が出来、悲壮な「同棲時代」は過去の話となりました。また、女性もキャリア化が進み、結婚という 形に束縛されない時代となり、「同棲」の質も大きく変りました。90年代後半からは、バブル 後遺症により不況が続いておりますが、「同棲」を巡っては社会の認識も好転し、「暗さと貧しさと、 後ろめたさ」は払拭されたように思います。
上村氏は、70年代の日本社会における「同棲」の実情を的確に捉え、歴史的な作品に仕上げられたと 思います。今回はじめて、上村氏が1986年1月に45才で亡くなられたことを知りました。若死にかも 知れませんが、阿久悠氏の申されるとおり、天才らしく人の二倍生きて他界されたのだと思います。
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