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 <団体紹介>
 1979年、再興した町民運動会に登場した青年太鼓がその前身。
 その後、和気町、和気神社宮司などのお力添えをいただき、1981年に地域出身の偉人"和気清麻呂公"の名を借り、「清麻呂太鼓」と命名し、大小5張の太鼓をそろえて正式に発足。
 結成以来、郷土の生んだ"和気清麻呂公"の顕彰と、地域の活性化を願い、ひたすら太鼓を打ち続けている。
3尺1寸の欅(けやき)の大太鼓を中心に、人々に感動を与えられる太鼓を目指し、郷土の偉人をたたえる心情あふれるオリジナル曲を創作し、県内外を問わず広く演奏活動を続けている。
 岡山県を代表する郷土芸能として認められるよう、日々練習を重ねている。和太鼓を通じて人の和が広がり、その和をもっともっと大きく広げ、ともに成長していけるようメンバー一人一人が精力的に活動している。

<経歴>
1979年 10月 清麻呂太鼓の前身となる青年太鼓が、再興した和気町町民運動会に登場
1981年 和気町、和気神社の力添えのもと郷土の偉人和気清麻呂公の名を借り、「清麻呂太鼓」発足
1983年 3月 NHKふるさと歌謡スペシャルテレビ出演
1984年 8月 安針祭太鼓合戦(静岡県伊東市)1位入賞
1985年 5月 和気町福祉センター落成記念コンサート
1986年 9月 岡山県国際交流フェスティバル韓国舞踊団と共演
1987年 7月 ジャパンフェスティバル(オーストラリア・ブリスベーン)に岡山県代表として出演
1988年 3月 瀬戸大橋博覧会アトラクションに出演
1989年 5月 第1回藤まつり(和気町)全国和太鼓合戦主催、霧島九面太鼓(鹿児島県牧園町)他出演
以後、数多くの団体を招き毎年開催
1991年 3月 山陽本線100周年記念式典アトラクションに出演
9月 観月の宴(高知県芸西村)に出演
1992年 12月 太鼓の碑(和気神社敷地内)建立
1993年 12月 ソウル国立劇場(韓国)にて出演
1994年 7月 宇佐夏越祭(大分県宇佐市)に出演
11月 神護寺(京都府)の和気清麻呂公法事において奉納演奏
1995年 3月 阪神淡路大震災救援コンサート
1996年 7月 同和教育フェスティバルに出演
東京都庁前広場にて演奏
1997年 10月 宇佐市制30周年市民芸能祭(大分県宇佐市)に出演
1998年 10月 宇佐市ふるさと祭り(大分県宇佐市)に出演
2001年 7月 鹿児島県牧園町にて、霧島高原太鼓フェスティバルに出演予定していたが、台風のため中止
2002年 8月 鹿児島県牧園町にて、霧島高原太鼓フェスティバルに出演
2003年 2月 大三島(しまなみ海道)にて、「中四国文化の集い」岡山県代表として出演
2003年 8月 岡山シンフォニーホールにて、河和バレエと共演
2005年 4月 サンフランシスコ桜まつり(アメリカ・サンフランシスコ)に出演
「サンフランシスコ桜まつり特集」はココをクリック
2007年 1月 ムンバイフェスティバル(インド・ムンバイ)にて出演

和気清麻呂(わけきよまろ)公ってどんな人?

 日本の古代史の中で、奈良時代から平安時代の転換期に活躍した人物。天平5年(733)備前国藤野郡(現和気町)に生まれた。桓武天皇の信任を得て近畿地方の河川改修や開削を行って治水に努め、数多くの土木工事をなした。美作・備前国造として郡民の負担軽減を図るなど民生の安定と発展に努めた。常に誠実に業務をこなし摂津大夫、民部大輔、中宮大夫、民部卿を歴任した。特に至誠を貫いた道鏡事件、及び平安遷都は彼の立案であったことなどは史上有名。

和気広虫(わけひろむし)姫ってどんな人?

 和気清麻呂公の3歳年上の姉。地方の郡司の娘のならいで采女として都に上がり孝謙上皇に仕え、勅を伝宣する女官を務めた。その人柄は「貞純で節操に欠けるところがない」と評価された。天平宝字8年(764)、恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱の逆徒の助命を嘆願して死刑を流刑に改めさせた。乱で生じた孤児83名を養育し夫の姓を与えるなど、わが国最初の里親制度・施設養護の創始者として知られる。

道鏡(どうきょう)事件って何?

 道鏡事件が起こったのは769年で和気清麻呂は37歳、近衛将監の時でした。仏教政治がはびこる中、僧道鏡が政界に入り、女帝の考謙(重祚して称徳)天皇から特別深い寵愛を得て、太政大臣に、次いで法王となり、最後には天皇の位を望むようになりました。そこへ、九州大宰府の主神(かんずかさ)習宜阿曽麻呂(すげのあそまろ)が朝廷に「道鏡を天皇の位につければ天下は太平となる」というお告げ(神託)をもたらしたのです。天皇は驚き、神意を確かめるために使いを出すこととなり、その役に清麻呂公が選ばれました。宇佐から帰った清麻呂は死刑を覚悟で、先のお告げとは全く反対の「道鏡を除くべし」という内容を神意として言上しました。
 これは、政治の私物化に対する大抗議でありました。当時の大部分の人が道鏡への譲位に疑問をもっていたにも関わらず、左大臣以下だれも声に上げて反対しませんでした。これに対し命をかけて抗議したのが清麻呂公ただ一人だったのです。
 これにより、清麻呂公は大隅国(現鹿児島県)に流罪となりましたが、道鏡の失脚により都に呼び戻され、平安遷都など平安時代の礎を築く重要な役割を担いました。
 この類をみない危機に立ち向かった清麻呂公の行動・精神は日本史上に一筋の光彩をはなっています。

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製作/清麻呂太鼓事務局