ローラ・インガルス・ワイルダー
1810年 父方の祖母ローラ・コルビー、生まれる。祖先はヴァーモント出身。
1812年 父方の祖父ランスフォード・インガルス、カナダで生まれる。祖先はニューハンプシャー出身。
彼の母親の家系は、フランス系だった。
1828年 父方の祖父母ランスフォードとローラ、結婚する。
1831年春 母方の祖父母ヘンリー・ニュートン・クワイナーとシャーロット・ウォリス・タッカー、
アメリカのコネティカット州ニューヘイブンで結婚する。
1833年 父の兄ピーター・インガルス、ニューヨ−ク州アレガニー郡で生まれる。
1835年 母の兄ヘンリー・クワイナー、祖父母が移住した西のオハイオ州で生まれる。
1836年1月10日 チャールズ・フィリップ・インガルス(父さん)、ニューヨーク州キューバ郡区で生まれ、育つ。
1839年12月12日 キャロライン・レイク・クワイナー(母さん)、ウィスコンシン州ミルウォーキー郡
ブルックフィールドで生まれる。古いスコットランド人の血筋だった。
1844年秋 母方の祖父がマキナック水道で遭難し、死去。
1847年 母方の祖母、子供達を連れてオコノモウォック川沿いの土地に引っ越す。
1848年 母方の祖母、コネティカット州から来た農夫フレデリック・ホルブルックと再婚する。
1849年 母方の祖母、ウィンスコンシン州ジェファソン郡の政府の土地を買い、クワイナー一家は引っ越す。
1853年12月31日 インガルス一家、ウィンスコンシン州ジェファソン郡へ移住する。
12月31日 祖父、300ドルで初めて自分達の土地80エーカーを買う。森の真ん中に小さな板張りの家を建てる。
1854年 母の異父妹シャーロット・ホルブルック(ロッティ)生まれる。
1856年春 母さん、16歳でコンコード郡区の教員資格試験に合格する。
12月25日 母の兄ジョウゼフ・クワイナーとナンシー・フランク、コンコードの花嫁の家で結婚する。
1857年2月13日 アルマンゾ・ジェームズ・ワイルダー、ニューヨーク州マローン近くの農場で生まれる。
春 父方の祖父、自分の土地を抵当に300ドルの借金をする
1859年2月14日 母の兄ヘンリー・クワイナーと父の妹ポリー・インガルス、結婚する。
1860年2月1日 父さんと母さん、ウィスコンシン州コンコードでジェイムズ・W・ライマン牧師によって結婚式を挙げる。
1861年1月31日 祖父、借金を返せず、土地は競売にかけられる。
4月12日 南軍のサムター砦攻撃により南北戦争開戦(〜1865年4月9日)。
6月5日 父の兄ピーター・インガルスと母の妹イライザ・アン・クワイナー、ウォータータウンで結婚する。
1862年 エイブラハム・リンカーン、自作農地法(ホームステッド法)を制定する。
南北戦争に参戦していた母の兄ジョーゼフ・クワイナー、シャイローの戦いで負傷して戦死する。
1863年9月22日 父さんとヘンリー伯父さん、ウィスコンシン州ペピン郡の土地80エーカーを335ドルで買う。
父さんと母さん、ヘンリー伯父さんとポリー夫妻と共にペピン湖から7キロ離れた深い森の奥に移住する。
1865年1月10日火曜日 長女メアリー・アミリア・インガルス、ペピンの大きな森で生まれる。
1867年2月7日木曜日 次女ローラ・エリザベス・インガルス、ペピンの大きな森の中の小さな灰色の丸太小屋で
生まれる。ローラという名前は父方の祖母から貰っている。
1868年4月28日 1歳 父さんとヘンリー伯父さん、農場をグスタフ・ラインハルト・グスタフソンに分割掛け売りで売る。
5月28日 父さんとヘンリー伯父さん、ミズーリ州チャリトン郡の土地をそれぞれ80エーカーずつ900ドルで買う。
7月 「大きな森」の公証人がミズーリ州の土地を正式の書類にし、ニ家族は幌馬車で、西部に向けて出発し、
ペピン湖のあるミシシッピ川を渡り、ミネソタ州へ入り、アイオワ州、ミズーリ州へ行く。
1869年8月6日 2歳 農場の土地代金を支払って貰えず、父さんは、祖父を代理人とする委任状を書く。
インガルス一家は、「大きな森」へ帰るヘンリー伯父さんの家族と別れ、ミズーリ州から、自由に移住できる
カンザス州へ行き、南カンザス州モントゴメリ郡ラトランド郡区の南東の隅にある大草原に移住し、父さんは
小さな家を建てる。そこは、当時インディアン・テリトリーだった。
1870年代の初め ワイルダー一家は、マローンを離れ、ミネソタ州スプリング・ヴァレーへ移住する。
アルマンゾはここで大人になる。
1870年2月 3歳 父さんと母さん、ミズーリ州の土地代金1080ドルを払えなかったので、インディペンデンスへ
行き、土地を返す書類にサインする。
夏 インガルス一家が全員おこり熱にかかり、タン医師に助けられる。
8月3日水曜日 三女キャロライン・セレスティア・インガルス(キャリー)、モントゴメリ郡で生まれる。
キャロラインという名前は母から貰っている。
1871年春 4歳 父さんと母さんは、軍隊がやって来て、居住者をインディアン・テリトリーから追い出そうと
していると聞き、その上、グスタフソンから土地の代金を支払えないので買い戻してほしいという手紙を受け、
ウィスコンシン州へ戻る決心をする。
インガルス一家はカンザス州を離れ、再びペピンの「大きな森」に帰り、土地を取り戻す。
5月30日 父さん、デュランドの郡役所へ行き、ミズーリ州で署名した土地売買の委任状を取り消す。
5月 メアリー、いとこ達とバリー・コーナー学校に通い始める。
10月8日 ローラ、バリー・コーナー学校に入学する。メアリーとローラは、いとこ達と学校へ歩いて通う。
1873年10月末 6歳 父さん、アンドルー・アンダーソンに農場の土地の全てを1000ドルで売る。
10月28日 インガルス一家、ピーター伯父さんの家に暫く同居する。
冬 子供達、しょう紅熱にかかる。
1874年2月 7歳 インガルス一家とピーター伯父さんの家族、幌馬車で長い旅を続け、氷の張ったペピン湖を
渡り、ミネソタ州レイクシティーへ移住する。
春 ピーター伯父さんの家族と別れたインガルス一家、ミネソタ州の西にあるウォルナット・グローブの村で
ハンソンからプラム・クリーク沿いの土地を買い、土手の横穴小屋に住む(〜1876年)。
大草原に新しい住家を見つける。
8月23日 父さんと母さん、ウォルナット・グローブの合同組合教会設立の手伝いをし、会員となる。
夏 父さん、農場の手伝いをしてお金を貯める
秋 父さん、家に帰る。
11月末 父さん、教会の鐘のために26ドル50セントを寄付する。
12月20日晩 合同組合教会の新しい教会でクリスマス・パーティが開かれる。
1875年2月 8歳 父さん、合同組合教会の管財人となる。
春 父さんが建てた新しい家に引っ越す。学校が建ち、メアリとローラ、通い始める。
夏 バッタの大郡が押し寄せ、収穫間近の作物が全滅し、父さんは東ミネソタへ出稼ぎに行く。
11月1日 長男チャールズ・フレデリック・インガルス、ウォールナット・グローブで生まれる。
名前は父と、母の義父から貰っている
1876年6月10日 9歳 去年のバッタの卵がかえって収穫前の作物が全滅したので、父さんはプラム・クリークを
去る決心をし、土地を売る。
7月10日 ミネソタ州東部サウス・トロイのピーター伯父さんの農場へ行き、同居する。
8月27日日曜日 チャールズ・フレデリックがサウス・トロイで死去、生後9か月だった。
秋 父さん、ウィリアム・ステッドマンの経営する「バー・オーク・ハウス」を手伝うため、一家と共に
アイオワ州バー・オークへ旅立ち、ホテルに引っ越す。
1877年1月 10歳 インガルス一家、ホテルの二軒隣にあるキンボールの食料雑貨店の2階に間借りする。
冬 ホテルの隣の酒場から出火。
春 物騒なので、バー・オークの町外れの小さな赤い煉瓦造りの家を借りて引っ越す。この頃、父さんは牛を1頭買う。
5月23日 四女グレース・パール・インガルス、アイオア州バー・オークで生まれる。
夏 ステッドマンがホテルを手離す。
秋 インガルス一家はウォールナット・グローブに戻る。
冬 エンサイン家に同居する。
1878年1月26日 11歳 父さんと母さん、ウォルナット・グローブの合同組合教会へ正式に復帰する。
その後、メアリも教会員となる。
父さん、ウィリアム・J・マスターズが経営するホテルで働き、家を建てられるだけのお金を貯める。
春 父さんがホテルの近くにある広い牧草地に建てた家に引っ越す。父さん、町に小さな部屋を借りて
肉屋を開業し、繁盛する。
夏 ローラ、ホテルで働き、1週50セントを貰う。
夏の終わり 父さんは肉屋をやめ、大工、カウボーイなどの仕事をする。
冬 ローラ、町から2マイル離れた田舎に、病気がちの婦人セイディー・ハーリーの世話をするため、働きに行く(2週間)。
1879年3月 12歳 ウォールナット・グローブ、正式の村となる。初めての選挙が行われ、父さんは治安判事に選ばれる。
メアリーが重い病気にかかり、次第に目が見えなくなる。
夏 メアリー、脳炎による高熱のため失明する。
9月 父さん、A・L・ウェルズ会社に雇われ、サウス・ダコタ州の鉄道工事現場の売店に働きに出かける。
ローラ達はメアリーが回復してから汽車に乗って出発し、ミネソタ州トレイシーで父さんと合流しシルバー湖の
ほとりの飯場に移住する。
秋 測量技師が父さんに、冬の間、湖の岸辺の測量技師の家に住んで、会社の測量器具を管理してもらいたいと頼む。
12月1日 飯場が閉鎖され、インガルス一家は測量技師の家で冬を過ごす。
クリスマス アイオワ州からやって来たボースト夫妻は、インガルス一家の生涯の友達になる。
1880年春 13歳 サウス・ダコタ州デ・スメットの町の近くに、開拓農地を得ようとする人々が、続々とやって来る。
測量技師の家以外に、泊まる所がなかったので、母さんとローラ達は、再びホテルをやる事になってしまう。
母さんは、食事代に25セント、宿代に25セント払ってもらう事にする。
2月 父さん、ブルッキングズの政府の土地払い下げ申請事務書でデ・スメットの町から約1キロ半離れた開拓農地を
申請する。
2月29日 デ・スメットでの最初の礼拝が測量技師の家で執り行われる。
測量技師たちが戻ってきたため、一家は町の本通りに引っ越すが、町の生活に馴染めず自作農地の小屋に住む。
4月3日 父さん、デ・スメットの町に家を建て、一家は引っ越す。この頃、父さんは町の臨時巡査をする。
父さん、払い下げ農地(申請した自作農地)に掘立小屋を建て、一家は引っ越し、定住する。
≪キングズベリー郡ニュース≫紙創刊。
郡の組織ができ、父さん、治安判事に任命される。
鉄道完成。ミネソタ州スプリング・ヴァレーからロイヤル、アルマンゾ、イライザ・ジェーンの
ワイルダーきょうだいが来る。
10月15日 ダコタ・テリトリー一帯を猛吹雪が襲う。
大吹雪がやって来た時、父さんは厳しい冬をデ・スメットの町で暮らす決心をする。7ヶ月の「長い冬」が始まる。
11月1日 ローラとキャリー、町の学校へ通う。
大吹雪が何度も襲来する。
1881年1月 14歳 鉄道会社は、春まで汽車を走らせないと発表する。
アルマンゾとキャップ・ガーランドが、危険をおかして大草原へ出かけ、小麦を買って戻り、町の人々を
飢え死にから救う。
1月 デ・スメットの町、雪に閉じ込められ孤立する(〜5月)。
4月 嵐がおさまる。
5月10日 この年最初の汽車が食糧をのせてデ・スメットの町にやって来る。
一家は、再び開拓小屋へ引っ越し、遅れたクリスマスを祝う。
夏 ローラ、デ・スメットの町の洋裁店で、1週1ドル半の縫い子として働く。
秋 メアリー、アイオア州ヴィントンのアサイラム通りにあるアイオワ盲人大学へ入学する(〜1889年)。
1882年春 15歳 ローラ、教員になるための準備をする。
11月 信仰復興特別伝道集会が開かれ、アルマンゾ・ワイルダーが初めてローラを誘う。
ローラ、教員資格試験に合格する。
1883年2月10日 16歳 ローラ、デ・スメットから南に20キロ離れた開拓村のブシー家に下宿し、
ブシー学校で教員として働く(〜2か月)。
毎週金曜日の夕方 デ・スメットの若い農夫アルマンゾが橇で迎えに来る。
春 ローラ、家に戻り、再び学校に通い、同時に洋裁店で働く。
アルマンゾ、ローラを馬車のドライブに誘う。
ローラ、払い下げ農地へ行く人と同行し、その家の手伝いをして働く。
5月末 ローラ、家に戻り、洋裁店で働く(〜8月)。
6月 メアリー、盲学校から一時帰省する(〜9月)。
夏 ローラ、アルマンゾとスピリット湖や双子の湖まで馬車で遠出する。アルマンゾと親しくなる。
1884年 17歳 ローラ、アルマンゾをマンリーと呼ぶようになる。
春 ローラ、ペリー学校で教え、土曜日にはデ・スメットの町の洋裁店で働く。
メアリーのために足踏みオルガンを購入する。
4月 ローラ、再び教員資格試験を受け、教員として認められる。
夏 ローラとアルマンゾ、婚約する。
秋 ローラ、デ・スメットの新しい学校に通う。
マンリーとロイヤル、ルイジアナ州へ長旅に出かける。
1885年4月 18歳 ローラ、デ・スメットから北3マイルの所にあるウィルキンス宅に下宿し、
ウィルキンス学校で教える(〜3か月)。
8月25日朝11時頃 ローラとアルマンゾ(マンリー)、エドワード・ブラウン牧師によって結婚式を挙げる。
デ・スメットから約1キロ半北にある樹木農地に建てた小さな灰色の家に住む。
1886年8月 19歳 雹で農作物が全滅する。
8月25日 樹木農地の家から自作農地の小屋に移る。
12月5日月曜日夜 一人娘ローズ、デ・スメットで生まれる。ローラが大好きだった野バラにちなんで名付けられた。
後に、ジャーナリスト、作家となる。
アルマンゾ、たくさんの借金を抱え、生活は苦しく、自作農地を売る。
1887年夏 20歳 納屋と干草の山が原因不明の火事で燃える。
12月24日 父さんと母さんはデ・スメットの農地を離れ、父さんがデ・スメットの町の3番通りに建てた
小さな灰色の家に、母さん、三姉妹と共に最後の引っ越しをする。
1888年冬 21歳 ローラとマンリー、ジフテリアにかかり、後遺症でマンリーは足が不自由になる。
アルマンゾ、たくさんの借金を抱え、生活は苦しく、自作農地を売る。
1889年 22歳 メアリーは24歳で盲人大学を卒業し、デ・スメットに帰る。その後、視力を取り戻す事はなく、
結婚もしなかったが、両親と共に、幸せに暮らした。
8月 ローラ、長男をデ・スメットで出産するが、2週間後に死去。
ローズ、ストーブに干し草の棒をくべていて火事を起こし、家が焼ける。
ここ数年日照りが続き、不作が続く。
1890年5月 23歳 デ・スメット周辺の日照りは、益々ひどくなり、アルマンゾの病後の休養が必要だったので、
ワイルダー一家、デ・スメットを離れ、幌馬車でミネソタ州東部のスプリング・ヴァレー近くにある
マンリーの両親の農場に滞在する(〜1年)。
1891年秋 24歳 ワイルダー一家、スプリング・ヴァレーから汽車に乗って、ローラのいとこのピーター夫妻が
いる気候が温暖なフロリダ州ウェストヴィルへ転地する。
ウェストヴィル近くの松林の家に移住する(〜1892年)。ローラは、湿気の多い気候のために病気になる。
1892年8月 25歳 ワイルダー一家、再び汽車でデ・スメットへ戻り、インガルス家の側の小さな家に住む。
夏 メアリー、シカゴの病院で、神経痛の痛みを和らげるため外科手術をする。
1894年 27歳 ローラ、洋裁店で働き、お金を貯める。
ワイルダー一家はミズーリ州へ行った人から、オウザーク丘陵にあるマンスフィールドの肥沃な土地や気候の話
を聞き、移住する決心をする。
7月17日火曜日8時40分 ワイルダー一家、クーリー一家と共にデ・スメットを出発し、幌馬車で長い旅にでる。
ローラは、毎日、日記をつける。
ローラは、この旅の思い出を書き送り、≪デ・スメット・ニュース・アンド・リーダー≫紙に掲載される。
8月31日 マンスフィールドに到着する。
9月24日 マンスフィールドから東に約2キロの所に40エイカーの土地を購入する。
ローラ、この土地がオウザーク丘陵の一番高い尾根の上にあり、岩だらけの荒れた土地だったのでロッキー・リッジ
農場(岩尾根農場)と名付ける。
ローラとマンリー、土地を開墾してロッキー・リッジ農場を作り始める。
土地を開墾し、果物や乳製品を作り、鶏やアヒルを飼育する。
マンリーは薪を、ローラは卵を売って生活用品を買う。
ローズ、学校へ通う。
1895年春 28歳 20エイカーが開墾され、リンゴの苗木を植える。
1896年 29歳 ワイルダー一家の農場は40エイカーから200エイカーにまで大きくなり、採算が取れるようになる。
春 新しい家を建て始める。
1898年 31歳 ワイルダー一家、農場を更に充実させるための資金を得るため、町外れに家を借りる。
マンリー、荷馬車屋を始める。
夏 マンリーの両親と姉ローラが、ワイルダー家を訪れる。
1901年10月16日 34歳 グレース、農場を経営しているネイト・ダウとインガルス家で結婚し、サウス・ダコダ州
マンチェスターの近くに住む。
1902年6月8日日曜日午後3時 35歳 父さんがデ・スメットで死去、享年66歳。
1903年 36歳 キャリー、ワイルダー一家を訪れる。
夏 未亡人イライザ・ジェーンと息子ワイルダー、マンスフィールドを訪れ、
帰る時に、ローズをルイジアナ州クラウリーへ連れていく。
ローズ、クラウリーの町の高校に入学し、イライザ・ジェーンの家から高校へ通う(〜1年間)。
1904年春 37歳 ローズ、高校を首席で卒業し、マンスフィールドに戻る。
マンリー、石油会社の販売人として働く。
ローズ、電信技術を習い、ミズーリ州カンザス・シティのウエスタン・ユニオン社で電信技手として
働き始め、自活する。
ローズ、電信技手として働くために家を出た後も、度々家に帰ってくる。
1907年 40歳 町の家を売却し、ロッキー・リッジの未完成の家に手を入れ始める。
1908年 41歳 ローズ、カリフォルニア州サンフランシスコで働き始める。
1909年3月24日 42歳 ローズ、不動産売買をしていたジレット・レインとサンフランシスコで結婚する。
2人は、不動産業を始め、ローズはカリフォルニア州初の女性不動産業者として働く。
1910年夏 43歳 ローズとジレット、男の赤ん坊の死から立ち直るためロッキー・リッジに滞在する。
1911年2月18日 44歳 週刊農業新聞≪ミズーリ・ルーラリスト≫(Missouri Ruralist)にローラの
最初の記事「小さな農家に住むのがいい」が掲載される。これ以後、この新聞に記事を書き続けた(〜1927年)。
≪ルーラリスト≫に、ローラのコラム「農家のわが家」(後に「ある農村婦人の思い」に変更)が設けられる。
ローラは、同紙の家庭欄編集者も務める。
以後、ローラは、農場の生活専門家としてセントルイスの≪スター・ファーマー≫紙や≪セントルイス・ポスト・
ディスパッチ≫紙、≪カンザス・シティ・スター≫紙に特集記事を売り込む。
ローラ、ミズーリ家庭生活向上組織の一員として活動する。
1912年8月1日 45歳 キャリー、妻を亡くしたデイヴィッド・スウォンジーと結婚し、サウス・ダコタ州
キーストーンで暮らす(〜1946年)。金鉱を所有し、裕福だった夫には、息子ハロルドと娘メアリがいた。
1914年 47歳 ローズ、≪サンフランシスコ・コール・ブリティン≫紙の第一線記者になる。
1915年 48歳 ローズ、作家としての活動を始める。
ローズ、サンフランシスコ万国博覧会が開かれた時、ローラを家に招待する。
ローラ、はじめて大陸を横断し、バレオウ通りにあるローズ夫妻の家を訪れて滞在する(〜2か月)。
ローラは万博を見物し、マンスフィールドにいるマンリーに多くの手紙を書く。
1916年 49歳 ローラ、アシーニアンズ・クラブを結成する。最終目的は群立図書館の設立だった。
1917年 50歳 オウザーク農民の生活向上のためマンスフィールド農業ローン協会が組織され、ローラは会計係となる。
1918年 51歳 ローズとジレット・レイン、離婚する。
1919年 52歳 ローズ、『わかれ道』(Diverging Roads)を出版する。
1920年 53歳 ローズ、アメリカ赤十字の仕事で、第一次世界大戦後のヨーロッパの難民や孤児の様子や
近東の情勢をリポートするため、ジャーナリストとしてヨーロッパへ行き、最初にパリへ派遣され、パリ
広報事務局で働く。その後、ギリシア、イタリア、ユーゴスラビア、アルバニアなどを旅行し、各地から
数多くの報告記事や短編をアメリカの雑誌や新聞に送る。
1923年 56歳 ローズ、アルバニアでの体験を基にした長編小説『シェイラの峰々』(Peaks of Shala)を
出版する。この本はローラに捧げられている。
12月24日 帰国したローズは、友人ヘレン・ボイルストン(トラブ)と共にマンスフィールドに帰る。
1924年4月20日 57歳 母さんがデ・スメットで死去、享年84歳。
1925年秋 58歳 ローラとローズとトラブ、カリフォルニアへビュイック車で旅行する。
ローラ、ローズの手助けにより、≪カントリー・ジェントルマン≫誌に「オウザークのわたしのキッチン」
「農家の食堂」を掲載する。
1926年 59歳 ローズとトラブ、パリのソルボンヌ大学へ語学の勉強に行く。
ローズ、アルバニアを再訪し、首都ティラナで暮らす(〜1928年)。
1928年10月17日 61歳 メアリーがキーストーンのキャリーの家で死去、享年63歳。
ローズ、農場に戻る。
マンリー、農作業から引退し、仕事の殆どをブルース・プロックにまかせる。
12月24日朝 ローズから、ロッキー・リッジから少し離れた所に建てた新しい石造りの家をプレゼントされた
ローラとマンリーは、その家に引っ越す。
1930年 63歳 ローラ、自伝「パイオニア・ガール」(Pioneer Girl)を書き始める。
ローズはローラの自伝をタイプし、ニューヨークのジョージ・バイに送り、出版社を探してもらおうとしたが、
どこも受け入れず。原稿は編集者から編集者へと回され、ついにニューヨークのハーパー・アンド・ブラザーズ社
の児童図書部がこれに興味を示す。
ローラ、父さんの語ってくれた話を加えるなどして再度原稿に手を入れる。
1931年 64歳 ハーパー・アンド・ブラザーズ社は、ローラの「パイオニア・ガール」を書き直して
題名を変更した『大きな森の小さな家』の出版を決定する。
6月 ローラとマンリー、37年ぶりにデ・スメットをヴュイック車で訪れる。
1932年4月 65歳 ローラの『大きな森の小さな家』(Little House in the Big Woods)がヘレン・シュウェル
の挿絵で出版され、大評判になる。
秋 ローラ、『農場の少年』を出版社に渡すが、全面的な書き直しを要求される。
1933年 66歳 ローラ、『農場の少年』(Farmer Boy)をヘレン・シュウェルの挿絵で出版する。
ローズ、『大草原物語』(Let the Hurricane Roar)を出版し、ベストセラーとなる。
ローズの「Old Maid」がオー・ヘンリー賞を受賞する。
1935年 68歳 ローラ、『大草原の小さな家』(Little House on the Prairie)をヘレン・シュウェル
の挿絵で出版する。
1937年 70歳 ローラ、『プラム川の土手で』(On the Banks of Plum Creek)をヘレン・シュウェル&
ミルドレッド・ボイルの挿絵で出版する。ニューベリー賞優良図書に選ばれる。
ローラとマンリー、ローズが農家を出ていったため元の農家に戻る。
10月16日 ローラ、ミシガン州デトロイトのJ・L・ハドソン百貨店で開かれたブックフェアに出席し、一大
センセーションを巻き起こす。
1938年 71歳 ローズ、コネチカット州ダンベリーに住む(〜1968年)。
春 ローズ、ダコタの開拓農民夫婦の物語を描いた『自由の土地』を出版し、ベストセラーとなる。
5月 ローラとマンリー、若いシール夫妻と共に太平洋岸からサウス・ダコタ州へ回って戻ってくる旅に出る。
1939年 72歳 ローラ、『シルバー湖のほとりで』(By the Shores of Silver Lake)をヘレン・シュウェル&
ミルドレッド・ボイルの挿絵で出版する。ニューベリー賞優良図書に選ばれる。
6月1日 ローラとマンリー、6月10日のデ・スメットの「開拓移住者の日」を祝うため、故郷までドライブする。
サウス・ダコタ州マンチェスターに住むグレイスとネイトを訪れ、更にダコタの大草原を西へ向かい、
キーストーンのキャリーの家へ立ち寄る。
1940年 73歳 ローラ、『長い冬』(The Long Winter)をヘレン・シュウェル&ミルドレッド・ボイルの
挿絵で出版する。ニューベリー賞優良図書に選ばれる。
ローラ、『はじめの四年間』を執筆する。
1941年11月10日 74歳 グレースがマンチェスターで死去、享年64歳。
ローラ、『大草原の小さな町』(Little Town on the Prairie)をヘレン・シュウェル&ミルドレッド・ボイル
の挿絵で出版する。ニューベリー賞優良図書に選ばれる。
1943年 76歳 ローラ、『この輝かしい日々』(These Happy Golden Years)をヘレン・シュウェル&
ミルドレッド・ボイルの挿絵で出版する。ニューベリー賞優良図書に選ばれる。
ローズ、『自由の発見』を出版する。
1944年秋 77歳 キャリー、マンスフィールドを訪れる。
1945年4月12日 78歳 オウザーク地方を大竜巻が襲う。
1946年6月2日 79歳 キャリーがサウス・ダコタ州ラピッド・シティで死去、享年75歳。
ローラ、アメリカ合衆国国務省ダグラス・マッカーサーの要請に基づいて<小さな家>シリーズをドイツ語と日本語
へ翻訳紹介する事を決定する。
ローラ、ハリー・ハートマン賞を受賞する。
1947年 80歳 ローラ、シカゴの子供達の人気投票で5万5千票を獲得して好きな作家に選ばれる。
<小さな家>シリーズが好評のため、ハーパー社はガース・ウィリアムズの挿絵で新しい版を作る事を決定する。
9月 ガース・ウィリアムズ、ワイルダー夫妻の家を訪問する。
1949年春 82歳 ミシガン州デトロイト公共図書館のローラ・インガルス・ワイルダー分館が開館する。
10月23日日曜日朝 アルマンゾがマンスフィールドで死去、享年92歳。
1950年 83歳 ミズーリ州ハートヴィルの図書館で「ローラ・インガルス・ワイルダーの日」の催しが行われる。
5月12日 カリフォルニア州ポモナ公共図書館の児童図書室が「ローラ・インガルス・ワイルダーの部屋」と名付けられる。
1951年9月28日 84歳 マンスフィールド・ライト郡の図書館のマンスフィールド分館が、ローラ・インガルス・
ワイルダー図書館と名付けられ、祝賀会が開催される。
1952年秋 85歳 ローラ、ミズーリ州スプリングフィールドの書店で開かれたサイン会に出席する。
1953年秋 85歳 ガース・ウィリアムズの新しい挿絵で<小さな家>シリーズが出版され、大好評となる。
アメリカ図書館協会がローラ・インガルス・ワイルダー賞の設立を決定し、ローラ本人が
その最初の受賞者となり、ガース・ウィリアムズのデザインによる金メダルを受けとる。
1956年冬 89歳 ローラ、心臓病を病み、入院する。
1957年1月 90歳 ローラ、岩尾根農場へ帰る。
2月10日 ローラがミズーリ州マンスフィールドで死去、享年90歳。
1962年 ローズ、ローラが書いた旅日記を編集して『わが家への道―ローラの旅日記』(On the Way Home:
The Diary of a Trip from South Dakota to Mansfield, Missouri,in 1894)として出版する。
1965年 ローズ、戦地ベトナムへ特派員として派遣される。
1968年10月30日 ローズ、世界旅行を計画していたが、出発する直前にコネティカット州ダンベリーで死去、享年81歳。
1971年 ローラの『はじめの四年間』(The First Four Years)が出版される。
1974年 ローラがアルマンゾに書いた書簡集『遥かなる大草原』(West from Home)が出版される。
1981年 ウォルナット・グローブの古い鉄道の駅に、ローラ・インガルス・ワイルダー記念館ができる。
――小さな家の物語は、遠い昔の物語です。
でも、本当の物は変わらないのです。
いつだって、正直で誠実でいる事が、一番いいのです。
自分にできる事は精一杯やって、小さな喜びにも幸せを感じ、失敗しても挫けないで下さい。
あなたを幸せにしてくれるのは、あなたの持っている“もの”ではなく、
愛情と、思いやりと、お互いに助けあう事と、
そして、何よりも“いいひと”でいることなのです。――
ローラ・インガルス・ワイルダー
参考図書:『大草原の小さな家……ローラのふるさとを訪ねて……』ウィリアム・T・アンダーソン 文
谷口由美子 訳 求龍堂
『ローラ*愛の物語』ドナルド・ゾカード 著 小杉佐恵子 訳 西武タイム
『大草原物語』ローズ・ワイルダー・レイン 著 谷口由美子 訳 世界文化社
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