日本に引揚げた人々
について



「君たちは、日本に帰らなきゃいけないね。ここはもう外国だから。」
終戦は、祖国への苛酷な旅のはじまりだった。
博多港には、139万人の引き揚者が上陸した。




 第二次世界大戦が終わってから六十余年が過ぎ、平均寿命が延びたとはいえ、当時の玉音放送に耳を傾けた人は年々減ってきました。  どれだけ時が流れても「辛い体験をもう思い出したくない」という方は大勢いらっしゃいます。そのような中、当時の貴重な体験を語って下さり、資料を提供して下さいました岩永知勝氏、内山和子氏、河野あきら(りっしん偏に晃)氏、村石正子氏、森下昭子氏と、各御家族様に対し、深甚の謝意を表します。(筆者あとがきより)



戦争は、1945年8月15日に終わったというが、外地にいた民間人の多くにとって、この日が新たな戦争のはじまりといえた。
 その日を境に、追放されるべき侵略者として扱われ、それまで築き上げてきた生活の基盤を根こそぎ奪われ、着の身着のまま無秩序のなかに放り出され、そして引揚げ船の出る港まで、辛く長い旅をすることになったのである。空腹、寒さ、疲労、伝染病。ときに暴力や略奪。新たにはじまった「耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ」日々。
 人間の尊厳が集団ごと奪われ、生命そのものが危機に瀕する、という意味では、まったくもって引揚げは戦争そのものである。
 命からがら船に乗り、着いたのは空襲で焼け野原となった博多だった。
 博多に着いても、すぐ上陸できるとは限らない。コレラ患者の出た船は、全員検査の結果が出るまで上陸は延期された。そんななか、故国を目前にして自死する人もいた。
 親をなくしたり、はぐれたりした子供の中には栄養失調で死に瀕していたものもいた。大陸で混乱のなか陵辱され身体に変調をきたした女性たちもいた。
 それを出迎えた人々がいた。
「なんとかしなくては」
 無事に故郷に還れた人々の多くは、新たな生活との戦いがはじまった。
 そして引揚げた人々の一部は、出迎える人々に加わった。


 たくさんの人々の並々ならぬ努力と献身があって、いまのこの国の姿があるのだということについて、私たちは知らなければならない。  知らない人が多いのは、関心を持たれていないから、というより、関わった人々にとって、まさに「筆舌に尽くし難い」事象だからである。その様子を、この聞き書きから垣間見ることができる。
 人々の努力と奮闘と献身、そして、混乱に巻き込まれ、生きながらえなかったすべての生命に頭を垂れる。(遠藤順子)
        
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