歩いて美味しい九州の旅

長崎街道グルメ旅

陣屋城下町直方

「成金饅頭物語」



 直方名物といえば「成金饅頭」。なぜ「成金」で「白い餡」で「どら焼き」で 「ネジ梅の焼き印」なのかについては諸説あるが、その謎を追求する。
 成金という言葉は、もともと将棋用語だが、貧乏だった人がいきなり、お金持ち になるという意味で使われるようになったのは、日露戦争後の株価急騰で大儲けし た鈴木久五郎のことをそう呼んだところからであると伝えられている。
 まさにその時期、直方では相場で大損をしようとしている男がいた。穀物と菓子を商っ ていた牛嶋準蔵、まだ二十代前半。日露戦争に便乗しての値上がりを目論み大量の 豆を手配したが、直後に戦争が終わり、彼の手元に残ったのは大暴落した貨車1両 分の白花豆。途方に暮れて先輩に相談する。

 牛嶋青年「先輩、豆が余ってます。どうしたら良いでしょう」 
 先輩曰く「自分で売ればいい」 
 牛嶋青年「どうやって売れば?」 
 先輩「試しに、餡こたっぷりの菓子にすれば売れるかも」 
 
 と、いうような会話があったかどうかは定かではないが、ともかく、牛嶋青年は、 明治時代のその頃に、釜一杯の白花豆の餡こを炊いて、鉄板で焼いた皮にたっぷり挟んで売りに出した。 それが大ヒットしたのが「成金饅頭」である。その饅頭がいつから「成金饅頭」という名で売られはじめたかははっきりしないが 「成金」ということばと「成金饅頭」は、日露戦争終戦にまつわる相場つながりがあったわけだ。
 現在の「成金饅頭」餡は、白隠元豆などのこし餡とうずら豆の餡のブレンドであり、店により 比率が違うように見受けられる。牛嶋青年が抱え込んだ在庫の豆がもし小豆やエンドウだったら 「成金饅頭」は、別の色の餡こになっていただろう。なお、その先輩も後日「成金饅頭」屋を始めたことは言う迄もない。 

その2◆なぜ「成金饅頭」は梅の焼き印が押してあるのか? 
 「成金饅頭」の創始者「かめや」牛嶋家の家紋が「梅鉢」だった。それで、牛嶋準蔵氏は、梅模様 の色々なものをコレクションしていて、その中に、ネジ梅の焼き印があった。それを饅頭に押したの が始まりである。もっとも、売り出し当初から押されていたわけではなく、いつから押されるように なったかは記録に残っていない。ちなみに、その焼き印のネジ梅の花弁とシベは時計回り(右廻り)である。  
 
 

 
 
   饅頭の素材・形状・名称に続き、焼き印のデザインも他の業者に追従されるようになるわけだが、 創始者のネジ梅の焼き印に敬意を表してか、その当時、それ以外の店のネジ梅の焼き印は、時計逆回 り(左回り)であった。現在販売中の直方の五店鋪(博多屋/松野/四宮/大石/喜久屋)の多くの饅頭 の焼き印もそうである。ちなみに現在の成金饅頭製造販売店のうち、戦前から成金饅頭を作っている店 は「博多屋」のみである。
 ともあれ、現在売られている「成金饅頭」の素材、形状とデザインには、このような背景があるのだ。

その3◆商標登録について
 余談であるが、現在、博多では大相撲九州場所が行われている。マワシは正絹の博多織である。また 着物にしても博多織は筑前博多の有名な伝統工芸として多くの人々に愛されている。しかし「博多織」 という名称を、商品名として博多の業者は使えない。なぜか? それは京都の業者が先に「登録商標」 をとっているからである。仕方がないので博多の業者は「○○○博多織」とか「博多織○○○」という ように博多織に関係のある文字を併記しているという状況だ。商標の登録とはそういうものだと言われ ればそれまでであるが、釈然としないものを感じる。
 近年「阪神優勝」の商標登録が認可されていたことが明るみに出て、その類いがまかり通ると知られるや、 「巨人優勝」「西武優勝」「ホークス優勝」のような商標登録の申請が全国的に流行り出したことを思い出 した。もっとも「阪神優勝」は、そののち無効審判が確定し、他の「○○優勝」もすべて拒絶査定を受けている。
「成金饅頭」の商標登録をあえてしなかった牛嶋準蔵氏のおかげで全国的な銘菓になったことは筑豊の心意 気が感じられる。創業者牛嶋準蔵氏由来の「ネジ梅」の焼印を眺めながら、饅頭を口に入れる。シュガーロ ード長崎街道沿いの、温かい甘い筑豊の香りである。うまい。
 
   
  
 (2004年11月 遠藤順子)
   

次号は、大シュガーロード基地「菓子の町・飯塚」





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