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(2007年9月14日~9月21日) |
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14日新千歳空港全日空カウンター前に朝7時30分集合。集まったのは御夫婦一組と一人参加の女性が私を含めて4名と女性添乗員のTさんの計7名。お互い自己紹介の後、神戸空港行きの全日空機に乗り込む。当初関空よりウズベキスタン航空にて直接ウズベキスタンに行くはずが、取れなくて往復アシアナ航空でソウル経由に変更になった。更に行きは神戸空港からフェリーで関空に。やれやれ神戸空港からフェリー、更にアシアナ航空もソウルも初めてだからいいようなものの、ちょっとガッカリ。ウズベキスタンの飛行機(国際線)乗ってみたかったな~。まずは08:00発の全日空機へ。 |
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09:55神戸空港着後、シャトルバスで300mくらい離れたフェリー乗り場へ。フェリーはあまり揺れもなく白い波をかき分け30分で関空近くのフェリー乗り場へ。(ちなみにフェリーは全席自由で1500円)そこからまたシャトルバスに乗り10分くらいでやっと関空に。三日前、すでに関空に送られている我々のスーツケースをここで受け取り最後の荷物チェック。アシアナ航空に荷物を預け(ウズベキスタンにて受け取り)出国審査の後12:50発の飛行機でソウル・仁川空港へ。所要時間1時間50分。 下の写真は機内食(ソバ、すし、煮物他)、右は仁川空港。 |
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この日は連休前の金曜日ということもあり満席状態。ソウルは雨降り。仁川空港はとにかく長く、端から端までいったいどのくらいあるか?乗継まで2時間くらい有り、デューティフリーで時間つぶし。ウズベキスタン土産よりはブランド物の方を喜ぶ妹にフランス製のバッグを買う。VISAのトラベラーズチェックで支払おうとしたら、最近偽造が多いので現金でと、お願いされた。 時間になりウズベキスタン行きの飛行機に乗り込む。飛行機の中は寒かった。余裕があったので2人掛けの席を一人で占領。ソウルから中国の上空を通り7時間40分のフライト。時差4時間。 |
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現地時間21:10ウズベキスタンの首都タシュケント着。この国では、空港・地下鉄・橋・検問所が撮影禁止になっているので、飛行機の中から1枚。入国審査、税関検査の後やっとホテルへ。 |
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現地ガイドのマリアさんに案内されたのは、マルカジホテル。まず現地通貨に両替。ホテルの両替所は24時間開いているというが、今日中に換えておく。今回の旅行の為9月10日に円からドルに両替した。(残念ながら円は使えないので)1ドル115.76円だった。とりあえず50ドルを現地通貨SUMスムと交換。1ドル1274スム(当日レート)なので、50ドル63700スム。上の写真のように札束(500スム100枚)できた。ホテルは部屋も設備も今回の旅で一番立派だった。分からないのは玄関にタシュケントホテル&...と書かれていたこと。マリアさんはマルカジホテルだというけど...?
15日8時にロビー集合。24時間営業のはずの両替所は閉まっていた。(昨夜の内に両替しておいてよかった)タシュケント観光は最終日に行い、今日は国内便にてウルゲンチ(ヒワ)へ移動。タシュケントの飛行場へ行く道すがら街の様子を眺めると、活気があって生き生きしていた。交通量も多く路面電車も走っている。空港に着いて飛行機に乗り込む。普段、座席指定は有ってないような状態だそうだが本日、日本人の団体がたくさん乗っているので指定どおりに。 |
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目的地が砂嵐の悪天候のため、なかなか出発しない。だんだん心配になってくる。私の左隣に座った、クロスワードパズルをしているイタリア人女性に、どうしたのかとイタリア語で話しかけられたが、私の右隣の添乗員のTさんの英語も通じず、困っているとイタリア人の通訳(?)がやって来て彼女に事情を説明し一件落着。 結局飛行機は11:00近くにやっと出発。所要時間1時間40分。ウルゲンチ空港は悪天候が嘘のような右のような青空。荷物を受け取るのにも手間取り専用車(運転席の後ろに補助席付きの2人掛3列のシート)に荷物を積み込みホレズム帝国の都ヒワへ。 |
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空港から30分くらいでヒワへ。着後日干し煉瓦で造られた内城イチャン・カラ(1993年世界遺産に登録)の中にある民家レストランにて昼食。西門から入場。写真を撮るのに5000スム。 |
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ナン(上左の円いパン)は、地方ごとにちがうそうで、写真のような模様をつける道具も売っていた。上、ロシア製の(?)ビールは3000スム。左はピラフ料理“プロフ”で上にのっているのは牛肉。これはとても美味しかったが、牛肉・ジャガイモ・人参入りのトマト味のスープは牛肉が硬くて噛み切れなかった。味は好かったのだが.... 食後は、観光。アタ門(西門)を入るとすぐ目に入る未完成のミナレット、カルタミナル。未完成には諸説あるが、1852年アミン・ハーンによって着工されたが、彼が1855年ペルシャとの戦いで戦死した為というのが本当のようだ。 |
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その隣にあるアミン・ハーンのメドレッセ(イスラム神学校)下の写真は、かつては中央アジア最大の神学校だったがロシアの宗教敵視政策により廃校となり、今はホテルになっている。泊まって見たいと言ったところ、設備面に問題があるのでとの事。1泊くらいなら我慢するけど... |
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次はクフナ・アルクへ。クフナは古い、アルクは宮殿という意味だそうだ。壁のタイルと極彩色の天井が美しい建物の内部には当時のコインや絹のお札などが展示されていた。町全体が見渡せる塔に上ると、カルタミナルや遠くにヒワで一番美しいといわれるイスラム・ホジャのミナレットが見える。 |
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一枚板をくりぬき、いく通りにも形が変わる本置き台。絨毯製作等の職人街を通り、ヒワの大臣 |
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であり、詩人・哲学者のパフラヴァン・マフムド廟へ。中庭に彼の肖像画が有り、パッと見、どこかのプロレスラーのようである。ここも天井や壁のタイルが美しい廟である。 |
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中庭からもヒワで一番高い(45m)イスラム・ホジャのミナレットが見える。(写真左)迷子になったらここを目印にしたらいいかも。 |
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いろいろな所から、美しい姿が見える。 |
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日干し煉瓦とブルーのタイル模様の交互の輪が美しい。この国で最も高い光塔だそうだ。
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ヒワで最古の建物ジュマ・モスクへ。
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212本の木柱は彫が全て異なる。
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アラクリ・ハーンメドレッセ(左の写真)を眺め、キャラバン・サライの前を通り(残念ながら門が閉まっていたので中が見られなかった)タシュ・ハウリ宮殿へ。 タシュは石、ハウリは屋敷の意味。門を入ると広い中庭は、幾何学模様や唐草模様の美しい空間。2階建てのハーレムでは、涼しい所にハーンとその4人の正妻の部屋が、日の当たる暑い所には愛人達が住んでいた。2階に上がってみたが西日が当たり狭く、愛人達は恵まれていなかったようだ。 |
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今日の宿泊はウルゲンチのホレズムパレス。玄関は立派で名前もパレスだが、風呂はなくシャワーのみだった。夕食はホテルのバイキング。売店のお兄さんは日本びいき(?)で、中田(サッカーのヒデ)は僕の友達だと言って2人で写った写真を見せてくれた。ヒデはここでも有名らしい。 |
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このお兄さんはアーティストで、後ろの水彩画は彼の作品(5ドル)。売店で売っていた陶器の絵付けもしているらしい。お向かいの売店には、すでに切手が貼ってある絵葉書が有った。このまま日本にも送れると言うので2枚買って出したが、届くかどうか?????
16日9時専用車にてキジルクム(赤い)砂漠を走りブハラへ向かう。道路は舗装されてはいるが、補修されていない。対向車もあまり通らない、果てしなく続く一本道を眺めていると、車の揺れと相まってついウトウト。砂漠の途中には |
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綿花畑が広がり、少年から白い綿をもらった。綿の葉には蜜がありそれを集めた蜂蜜(コットンハニー)というのがあるそうだ。皆、興味を示しマリアさんに見つけたら教えてもらうことに。 |
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途中の小さな市場で、メンバーにハミウリをご馳走になる。甘さはイマイチでも、みずみずしかった。 アムダリア川は乾期のためか水が少なかった。 昼食は道中のチャイハナで。 |
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中央アジア風うどんラグマンと、ナン。個人的にはここで飲んだビール(上左の写真の左側に写っている)とナンが一番美味しかった。しかしトイレは恐ろしいほど汚かった。 |
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夕方、ブハラのシャビシュホテルに到着。一見こじんまりしたペンション風だが中に入れば可愛い中庭があり、調度品や装飾品にオーナーのセンスが感じられ、鍵がきつくて扱いずらいのを除けば、悪くないホテルだった。 |
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食堂のディスプレー。有名作家さんの作品? |
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今夜の夕食はブハラ・パレスホテル(正面に3台の展望エレベーターがある高層の素晴らしいホテルで見るからに高級)のレストラン。壷に入った煮込み料理ナブルース、ビーツのスープ(ボルシチと言っていたが、日本の物とは少し違う)等のメニュー。客はウルゲンチ行きの飛行機で会った日本人ツァー客だらけ。昼食を取ったレストランと同じビールが5000スム(昼は2000スム)何ぼ高級レストランか知らないけど2倍強なんて暴利じゃない? |
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17日今日は朝からブハラ観光。まずイスマイル・サマニ廟。遊園地のある大きな公園の中を通り、土産物屋を横目に見ながら更に進むと、中央アジア最古のイスラム建築の廟が。日干し煉瓦を積み重ねた小さな廟で、3階回ると願いがかなうと言う。(また来れますように) |
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次にチャシュマ・アイユブ廟。チャシュマは泉、アイユブは旧約聖書に出でくる預言者ヨブのこと。ヨブがここを杖で叩いたら泉が湧き出たという。内部は水の博物館になっていて、中で写真を撮るのに1200スム。特に写したいところもなかったので、払わず。とんがり帽子のような屋根が、おもしろい。 次はハラハウズ・モスク。テラスには20本の美しいレリーフの柱、壁面には美しいモザイク模様、カラフルな天井の王族専用モスク。今でも礼拝に使っている。傍らにハウズ(池)がある。 |
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次に向かいのアルク城へ。歴代ブハラ・ハーンの居城で城壁の長さは780mあったが、今見られるのは半分くらいである。正面のレギスタン(砂場)広場では処刑も行われたそうで、城門の中には地下牢もあった。城内にはジュマ・モスク、玉座、謁見の間、博物館等見学。 |
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中にはたくさんの土産物屋が入っていた。もう少し値切りたくても時間が無いので少し高め(?)で購入。ネックレス売りのお兄さんとは、交渉決裂。しかし後で追いかけてきて私が最後に言った7ドルでいいと言う。琥珀の細石のネックレスである。半分冷かしだったけどま~いいか。きれいだったので購入。城の前で地元観光客の家族から我々一行に一緒に写真に入ってくれといわれた。子供を抱いた奥さんと一緒に写っている我々の写真は、この家族の家の片隅に記念写真として長く残るだろう。(な~んて) |
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次はチャル・ミナル。チャルは4つ、ミナルはミナレット。車の入れない路地を抜けると頭に青いタイルを載せた4本の可愛いいミナレットが。今は門番小屋だけが残っており、中は土産物屋になっている。 |
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次にナディール・ディバンベギのメドレッセへ。イスラム教の偶像崇拝禁止に反し、向かい合った2羽のフェニックスの間に太陽の顔がタイルで飾られている。中は大きな中庭を囲み、たくさんの土産物屋が入っており、中で製作しながら売っている人もいる。パペットのお店で作り方などを見学。今夜の夕食はここで、民族音楽や踊りを見学しながら餃子の夕食とのこと。 |
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ここのすぐそばにあるリャビ・ハウズで昼食。1620年に用水池として作られた。池の周りには樹齢数百年の桑の樹が囲み池の中では水鳥が泳ぎ、この街の周りが砂漠であることを忘れさせる。砂漠を旅してきた人々のオアシスとはこういう所なんだと、しばし感傷にふけりたいが、蜂が気になる。 |
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お嬢さんが、プロの陶芸家だというメンバーの一人Nさんは、午後の観光をパスしてセラミック・アーティストの村、グジュドバンに行くことになった。運転手とガイド(英語)付きで確か150ドルとか。 残りのメンバーは、マゴキ・アタリ寺院(左の写真)の前を通り(向かい側には4つ星ホテルがあった)、15~16世紀に建てられた円い屋根がつながっているバザ-ル・タキへ。しばし楽しいショッピングタイム。フルシチョフやレーニンも商売に一役。隣の写真の下に写っているのはナンの模様をつける道具。 |
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チャイハナでお茶を飲みながら、しばし休息した後、中央アジア最古の神学校ウルグベクのメドレッセとその向かいにあるアブドゥールアジス・ハーンのメドレッセへ。修復中で中には入れなかったが、屋根の上にコウノトリの巣があった。 |
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次にブハラのシンボル、カリヤン・ミナレットへ。高さ46m、日干し煉瓦を積み重ね、模様の異なる何層もの帯が空に向かってまっすぐ伸びている。この美しい塔の上から昔は死刑囚を投げ落としていたそうで“死の塔”とも呼ばれていたそうだ。カリヤン・モスクを通り1000スム払ってミナレットに登る。(写真右、中央に入口が)私と添乗員のTさんの2人だけ。他のメンバーはマリアさんと下で見学。塔の階段は105段あり、ステップも高く中は暗い。(真っ暗で何も見えない所もあった)懐中電灯を持って行かなかった事を後悔したが、もう遅い。壁を伝いながら段数を数え螺旋状に上へ上へと進んで行く。幸いにも上から降りて来る人はいなかった。やっとのことで最上部の展望台に着いた。下を眺めるとブハラ市街が一望でき、遠くにサッカー場も見え、下のほうからメンバーのOさんが、手を振っている。 |
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ミナレットに接続するカリヤン・モスクを見学。上左の写真はミナレットの上から、回廊に取り囲まれた中庭をパチリ。 |
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カリヤン・モスクに面したミル・アラブ・メドレッセを見学。巨大な門の両側に青いドームが美しい。共産主義のソ連にあって認められていた数少ない神学校で、今でも使われている。そのためこれより先は(写真下右)一般人の立ち入り禁止。わずかな人数しか入学できず、高倍率だそうだ。 |
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この後ホテルに戻り少し休息の後夕食へ。先ほどのナディール・ディバンベギのメドレッセへ。Nさんも戻ってきて、皆で夕食。餃子の味は普通。メンバーの中には民俗舞踏ショウより、買い物に走る人も。何しろたくさんの品揃え。でも私が作りましたと言われたら、値切りづらい。 |
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夕食の後、同じホテルに連泊。Nさんにグジュドバンで買った陶器を見せてもらう。やはり土産物屋に山と積んでいるお皿とは一味違う。このホテルにはデスクトップパソコンが2台あった。1台はウインドーズ98でもう1台がGENXのCT-726D聞いたことのないメーカーだ。(帰国してからヤフーで検索するとキリル文字が出てきた。どうやらロシア製のようだ)使った人のメモ書きが残されており、WWW.***.rcとあった。rcはロシアだ。キーボードはキリル文字対応のウインドーズだ。ちなみに料金は1時間1500スム。 |
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18日今日はブハラからティムールの故郷シャフリサブスそしてサマルカンドへ。ブハラは天然ガスの埋蔵量が世界一で、車窓からは石油と天然ガスの採掘所が見える。大切な輸出品の為か、国民でも安くないそうである。途中また綿畑が出現。昼食はシャフリサブスのレストランで。 |
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レストランはこじんまりして、たくさんの花が咲くお庭の美しいレストラン。葡萄棚の下で食事。奥のほうに白い布を張ったテーブル席が。こちらはVIP用(?) 料理は量が多くて食べきれず。おまけにここでも、しつこい蜂に悩まされる。 |
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食後は市内観光。ティムールの大きな像がある公園からアク・サライ宮殿の今も残る門へ。 |
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当時は今の2倍ほどの高さがあり、屋上にプールまで有ったというが、今は崩れた2つのアーチが残るだけである。ここでも私とTさんだけが塔に登った。2000スム。段差が高く約120段あった。中は明るくはないが懐中電灯は必要ない。上から街を眺める。先ほどのティムール像が小さく見える。シャフリサブスとはタジク語で緑の街という意味で、遥か彼方まで緑が広がっているのが見渡せる。当時の高さが有ったなら、いったいどんな景色なのだろう?ちなみに別角度からは、観覧車が見えた。 |
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次に樹齢200年のプラタナスの樹があるジャハンギール廟へ。ティムールが22歳で亡くなった長男のために1392年に建設したもの。地下にはティムールが自分のために作った石棺もあったが、残念ながら彼自身はサマルカンドのグル・エミール廟に葬られている。 |
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その後、ドルッテイロヴァット建築群へ。まず1436年ウルグベクによって建てられた青いドームのコク・グンバス・モスク。内部の修復された壁面のフレスコ画がきれいだった。 |
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向かいにはウルグベクが子孫のために建てたグンヴァズイ・サイダーン廟が。4つの墓石が並んでいて、一番奥の墓石は病気が治ると信じられているため、信者が触って表面に窪みができている。窪みに溜まった水を飲んだり、人によっては墓石の一部を削って持って行ってしまうとか。(右の写真は、石棺の前で説明をしている現地ガイドのマリアさん)後、ティムールが、彼の父のために建てたシャムスデイン・クラール廟見学後、一路サマルカンドへ。途中休憩で一休み。ロバに乗った少女を写していると近所の住民が、手作りラグ(写真右下)を売りに来た。 |
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50cm足らずの小さなものだが一枚2ドルとは。これがどこかのバザールに行けば10倍くらいに跳ね上がるんだろうな。彼等にとっては思わぬ現金収入だったのだろう。 シャフリサブスからサマルカンドまで約3時間何処までも続くまっすぐな道が遥か彼方まで続いている。途中、道路工事も見かけた。道路もヒワからブハラ(約9時間)、ブハラからシャフリサブス(約4時間)よりは、ずっときれいに舗装されていて、揺れも少なく気持ちいい。夕方サマルカンド到着。ホテル・セントラルサマルカンド2連泊。 |
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高層建築(14階建)の大きなホテルで、ホテルの前には、3つの噴水がある公園があった。ホテルで荷物を預けた後、市内レストランで夕食。入り口には美味しそうなディスプレーが。地ビールあり(2000スム)、メイン料理はケバブ(肉の串焼き)。客は好みの肉(牛、豚、羊、鶏から)を選べる。イスラム圏で豚肉?なんぼ観光客相手だからって?メンバーはそれぞれ。私は迷わず豚肉を選んだ。 |
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2500年の歴史を持つウズベキスタンは、ゾロアスター教がイスラム教に攻められ、その後モンゴル軍によって破壊され、ティムールによって建て直されるも、19世紀には帝政ロシアに攻められ、帝政ロシア崩壊後は、旧ソビエト連邦の1共和国となるが、1991年のソ連邦解体とともに独立して、現在に至る。イスラム経はスンニ派に属する。戒律的にはあまり厳しくなく、民族の坩堝ということもあり、ラマダン中に食事をしたり、首都のタシュケントではミニスカートの女性を見かけることも。 |
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下、正面の建物がホテル。小さなエレベーターが2台。ガタガタ音がして、ちょっと怖い。 |
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19日今日1日はティムール帝国の都「青の都」サマルカンド観光。青のイメージがあったが、空はブハラやヒワよりも少し埃っぽく感じた。最初に、中央アジア最大のビビハヌイム・モスク見学。このモスクは欠陥建築だった為、1897年の大地震の際にかなりの部分が崩れ、ソ連政府が修復したそうだが、中はかなり崩れている。 |
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次にこのモスクのすぐ近く、シャブ・バザールへ。ここは食料品が豊富な庶民のバザールで、巨大な屋根だけが付いている。中ではありとあらゆるものがきれいに並べられ、いくら見ていても飽きない。ナッツ類や干葡萄などを試食したり、サフランシュガーという珍しい砂糖もあった。(写真下) |
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見学が終わり帰りかけると、入り口の辺りが何やら騒がしい。女性同士の喧嘩だ。面白がってムービーで撮っていると、Oさんの奥さんが“こういう集団掏りの手口があるから注意しなさい”(仲間が注意を惹きつけている間に、掏るというよくあるパターン)と、声をかけてくれた。今回そんなことは無かったのだが危ない危ない。気が付くとデジカメのバッテリーの用量も減っている。イカン、イカン。ちなみに |
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タジク語で喧嘩しており、マリアさんにも意味不明。 次にアフラシャブの丘(チンギス・ハーンによって破壊された旧サマルカンド市街があった場所)の一画にあるウルグベク天文台に行く。ウルグベクはティムールの孫だが、政治家というよりも天文学者と言うほうが似つかわしい。今はドームと六分儀の地下部分だけが残っている。近代の天文台には、ウルグベクの像や、当時の資料等のコピーが展示されていた。天井には天体図のきれいなイラストがありました。次に、ティムールゆかりの人々のシャー・イ・ジンダ廟群へ。 |
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アフラシャブの丘の一画にある壮大な霊廟建築群。シャー・イ・ジンダとは“生ける王”の意味。ムハンマドの従兄クサイの廟には今でも多数の巡礼者がやって来る。クサイはサマルカンドにイスラム教の布教に来てゾロアスター教徒に首を切られた。(階段を登りきった一番奥、一般には非公開)それが建てられてから、長い階段沿いの左右に20近い廟が建てられている。その奥の丘には現代の共同墓地(土葬)があり、墓標に亡くなった人の顔が彫られている。一見して金持ちの墓のようである。 |
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今回の旅行で、ここが一番見ごたえが有ったような気がする。崩れかけたタイルが、昔はどんなに美しかったかを物語っている。それぞれの廟にそれぞれデザイン違いの磁器タイル。一つ一つじっくり眺めていたい。ところが残念ながら1つの廟が見学できなかった。日本の撮影隊が使用中とのこと。後にレギスタン広場でも再会し、TBSテレビの「世界遺産」の撮影スタッフであることが判明。来年1月の放送予定だそうで、楽しみである。 |
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昼食は市内レストランにて。ここでも地ビールあり。パンはナンではなく、ごく普通のパン。この日メンバーのNさんは、今日は朝からスザニ(ウズベキスタンの伝統刺繍)の市が立つという郊外の村に出かけ、このレストランで皆と合流した。彼女は、私達が行ったシャブ・バザールにも寄っており、そこで例のコットンハニーを買ったと言って見せてくれた。バザールの奥のほうにある建物の中に蜂蜜売り場が在ったそうである。食後、私達はコットンハニーを買いに又シャブ・バザールに行った。ここではまたダジク人が喧嘩をしていた。やれやれ。 |
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次に行った歴史博物館は2階建ての普通の建物で、サマルカンドの歴史文化に関する展示やスザニ等の手工芸品もあった。個人の物売りもいて、手刺繍の栞(幅2.5cm、長さ35cm)を1ドルで買った。建物の中は暗かったのでよく分からなかったが、外でよく見るとかなり汚れていた。まったく....。 |
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次はいよいよレギスタン広場。(実は今回の旅行で一番行きたかった所)昔NHKのテレビ番組“シルクロード”の中で中央アジアのオアシス都市サマルカンドを紹介した時に写されたレギスタン広場の青いタイルが忘れられなかったのである。実際に行ってみると確かに素晴らしかったが何かが違う。広場の真ん中に、夜のイベント(有料で民俗舞踊、光のショーなどだそうだが、行かなかったので、どんなだったかは?)のための、ステージが。まったくイメージぶち壊し。どけろ、どけろの心の声。(届くはずも無い)
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三つのメドレッセがコの字型に並んでいる。左が最も古いウルグベクのメドレッセ、正面が最も新しいティリャカリのメドレッセ、右がお札の絵柄にもなっているライオンと女性の顔が描かれた美しいタイルのシェルドルのメドレッセからなる。サマルカンドのシンボル、ライオンを描いた神学校は、偶像崇拝を禁止するイスラム教徒の激しい非難を受け、これを造った領主バハトゥルは神学者を納得させるため、ティリャカリのメドレッセ(内部も天井も美しい)を造ったそうである。 |
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次にグル・アミール廟へ。グルはタジク語で墓の意。ティムール帝国3代の王が祭られている。ドームの中に墓が並んでいるが、実際の墓は地下にあるそう。夜のライトアップが美しいということで、夕食後に又来ることになった。月が出ていて、幻想的な美しさだった。ここでもTBSの取材スタッフが撮影していた。 |
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一旦ホテルへ戻り休息後、夕食のレストランへ。夕食のレストランでは女の子の誕生日パーティーが盛大に開かれており、大勢の招待客に豪勢な食事にたくさんのプレゼント。ビデオカメラで撮影したり、ピエロの芸人も呼ばれていた。金持ちには違いないが、子供の誕生祝にこれだけお金をかけるとは、どういう家族???ちなみに我々の夕食にはアイスクリームが付いた。 |
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20日朝、専用バスにてタシュケントへ。途中の市場で蜂蜜、リンゴ、チ-ズボールを売っていた。 |
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タシュケントへの道すがら、マリアさんが、「日本には“サマルカンド・ブル-”という歌がありますね」と言う。メンバーは誰も知らない。誰が歌っているのか聞いたら、吉田拓郎の歌だった。マリアさんに、歌ってみてとたのんだら、この歌は分からないが、大学で日本人の先生に習ったと言う“大きな古時計”を歌ってくれた。サマルカンドを離れるにつれ中央分離帯の仕切りも無くなり、ガタガタ道になる。道路の左右には綿畑が広がり、綿摘みをしている人達も見かける。この日、お腹の調子が一番悪く(2~3日前から調子が悪かったが)、タシュケントへの道(約4時間)が、非常に長く感じられた。昼食の市内レストランにようやく到着。トイレに直行。やれやれ。 |
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昼食後、タシュケントで一番大きいバザールへ。大きなドームの建物を抜けると、大きな屋根の下にたくさんの食料品のお店が。その周りにも香辛料やお花、文房具等のお店が。 |
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バザールの後、ロシア公使ポーロツウロフの私邸を博物館にしたというウズベキスタン工芸博物館へ。中を写すのは有料。入り口で料金を払わなかったので写さなかったが、スザニ・陶器・木彫り等の素晴らしい展示品が多数あり、写さなかったのを少し後悔した。売店には、豪華な民族衣装を着た売り子がいた。(写真下)地元の生徒も見学に来ており“go school”と言われた。数日後に一般の人を<学校に招く日>と言うのがあり、少し早いけれど珍しい(?)日本人の我々を招待したいと言うことである。時間が無いので丁重にお断りしたが、初めて日本人を見たと言う美人の地理の先生と、マリアさんのロシア語の会話が耳に心地好かった。 |
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博物館見学後、中央アジアで唯一の地下鉄に乗ってアミ-ル・ティムール広場へ行くことになった。専用車で最寄の駅まで行き、地下鉄に乗り込む。この駅は宇宙飛行士の肖像が描かれており、“私はカモメ”のテレシコワさんの肖像もある。10円玉くらいの大きさの、青いプラスチックの切符(?)を改札口の所定の位置に入れて中に入る。2つ目のアリシェール・ナヴォイ駅で乗り換え、2つ目のアミ-ル・ティムール駅で降りる。地下鉄駅はとても立派だが、地下鉄は古かった。乗客は余り混んではいなかったが、学生さんに席を譲られた。外国人観光客だからである。決して歳のせいではない! |
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それにしても何処まで行っても250スムとは安い。
アミ-ル・ティムール広場には英雄ティムールの像があった。聞けば、以前はマルクスだかレーニンだかの像が有ったそうな。(昔はマルクス・レーニン広場と呼ばれていたのかも?)独立後、撤去されて英雄ティムールが登場したそうである。広場から徒歩10分くらいのスーパーマーケットへ。途中、巨大なショッピングモールを建設中だった。 |
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二階建ての、かなり大きなスーパーマーケットで、使えるのはスムだけ。2階の奥にある銀行で10ドルをスムに換える。1階の食料品売場でワインを探す。なんとここではアルコール類は置いていないそうで、何のために両替したのかガックリ。ここには輸入物の缶詰や瓶詰めも(ロシア製、スペイン製等)たくさん有り、松下の電化製品も宣伝販売していた。次に又徒歩でナヴォイ劇場へ。 |
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歩いていると酒屋を見つけた。皆を待たせて、マリアさん、添乗員のTさん、メンバーのSさんと一緒に入っていった。食事の時に美味しかったワインは無かったが、甘いのはダメと言う私達に店員さんは、ドライタイプ(?)だと、上写真右側のワインを勧めてくれた。帰国してから飲んだが、味はイマイチ。左側はコニャック。一緒に飲んだ妹が多少甘いと言う。2本で10ドル弱。(コニャック8ドル、ワイン2ドル=スムで若干のお釣り)安いな~。途中スシバーも見かけた。こんな所にまで進出しているとは! |
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ナボイ・オペラ・バレー劇場は、第二次世界大戦後の1947年にタシュケントに抑留されていた日本兵捕虜の強制労働によって建てられた劇場で、1966年の大地震の際に他が壊滅的な打撃を受けたにもかかわらず、崩れずに残った頑丈で美しい建物である。強制労働にもかかわらず、手抜きすることなく、真面目で勤勉な仕事をした当時の日本人の心情と技術力の高さを思うと複雑な気持ちになる。 |
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夕食は、市内のレストランにて中華料理。ウズベキスタンに来る前、旅行会社の人から料理は期待しないで下さいと言われた。しかし、私の口にはとても合っていた。今夜で最後の夕食。別に中華でなくてもいいんだけど......。私たちが行ったのはコックさんが中国人だという“上海飯店”。味は特にどうと言うこともないが、デザートのリンゴを揚げたものが美味しかった。メンバーから今まで行った旅行の話を聞いたが、中でもイラク戦争が始まる数週間前にイラクを旅行したAさんには驚かされた。 |
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マリアさんの会社からですと言って、お土産の帽子をもらった。嬉しくない訳ではないが、かさばって荷物になるので、出来ればもう少し小さくて仕舞いやすい物の方が......。 |
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旅行中、ホテルでレギストラーツィア(滞在登録)、英語でレジストレーションの用紙(写真左)をもらう。帰国時、税関でこれを見せて、確かに泊まったことを証明する。(没収されることはなかった) |
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ラフマト(ウズベク語でありがとう)でも、トランクはもう空港に。 |
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夜、22:30発のアシアナ航空にて帰国の途へ。飛行場に着いた私達は、先に着いていたトランクを隅のほうに寄せ、最後の荷物の入れ替えをした。私もワインとコニャックのボトル2本を入れた。(テロ対策のため水物は機内手荷物では持ち込めない=制限がある)皿も何枚か入っている。(割れることも無く、無事着いた)この日、あまり体調の好くなかった添乗員のTさんだが、出国手続きのために、あっちこっち走り回っていた。早めに搭乗待合室で出発時間を待つことに。デューティフリーを覗きに行った。特に買いたい物も見あたらなかったが、スムは使えず、ドルかユーロだけ。まだ3500円分くらい残っているのに。待合室にもどるとTさんが、おでこに“熱さまシート”を貼ってショールに包まっていた。飛行機の中は余裕が在ったので、2人掛けの席を一人で使った。(アシアナ航空の飛行機の中でユニセフの寄付を集めに来た。記念に数枚残し、残りのスムを全部寄付した。よかったよかった)
21日時計の針を4時間進める。08:50ソウル着、アシアナ航空を乗り継ぎ関空へ。 出発は10:00。時間が短いので、空港職員が我々を急かす。ここでもあまり具合のよくないTさんが、あっちへ行ったり、こっちへ行ったり。(口では、もう大丈夫とは言うものの、大変な重労働である)乗り継ぎも無事終わり11:40関空着。入国審査・税関検査の後、14:55発全日空国内線にて新千歳空港へ。旅慣れたユニークなメンバーと、一生懸命やってくれたTさん、ウズベキスタンのマリアさんと運転手さん、のおかげで楽しい旅行ができました。ラフマト(ラフマート=マの音を強調する) |
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この文章を書くにあたり、Tさんが後日送ってくれた旅の行程表と、東方出版ウズベキスタン・シルクロードのオアシスを参考にさせていただきました。ここにお礼申し上げます。 |
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