PL教団の誤りを破す

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新興宗教 PL教団

【創立】昭和21年9月
【創始者】御木徳一(初代)
【現後継者】3代目・御木貴日止
【信仰の対象】大元霊(みおやおおかみ)
       教神(幽祖・金田徳光、初代教祖・御木徳一、2代教祖・御木徳近)
       祖霊(おやみたま=信者の先祖)
【教典】『PL教典』『PL処世訓21箇条』

教団の沿革

PL教団は、御木徳近(みき・とくちか)が「人生は芸術なり」などの処世訓を教義として創立した神道系の教団です。教団名のPLは「完全なる自由」という意味です。
また教団では、徳近の父である御木徳一(みき・とくはる)を初代教祖とし、さらに徳一が「御嶽教徳光大教会」の教祖・金田徳光の弟子であったことから、金田を幽祖としています。

■御木徳一と金田徳光

明治4年に現在の愛媛県に生まれた御木徳一は、8歳の時に禅宗の寺で得度し、明治26年には禅寺の住職にもなりましたが、その後は織物製造や農機具販売などの事業に失敗し、明治43年には還俗(げんぞく=僧職をやめること)しました。
貧窮(ひんきゅう)生活の中で妻に先立たれ、自分も脚気(かっけ)と喘息(ぜんそく)に悩まされるようになった徳一は、病気治しで有名だった金田徳光を訪ねました。 大正5年、御木徳一と息子の徳近は「御嶽教(みたけきょう)徳光大教会」の教祖・金田徳光に弟子入りしました。徳一は、一時は教団内で信望を得たものの、虚言癖があって次第に疎(うと)まれるようになりました。
大正8年に金田徳光が病死し、まもなく徳一は風紀問題を起こして教団から追放されました。しかし徳一は大正13年、自分が金田の正統な後継者と主張し、教団に対抗して別教団を結成。昭和3年には教団名を「扶桑(ふそう)教ひとのみち教団」としました。

■「ひとのみち事件」からPLへ

昭和11年、徳一は教祖の地位を息子・徳近にゆずりました。しかし同年9月、徳一は少女に対する強姦猥褻(ごうかんわいせつ)容疑によって逮捕されるという事件を起こしました。
またその半年後、「天皇といえども、その心根を正すために神から苦痛が与えられる」という教義が不敬罪にあたるという理由で、徳近以下幹部14名が治安警察法違反で検挙され、教団は解散処分となりました。これが「ひとのみち事件」です。教団は控訴しましたが昭和19年に有罪が確定。その間、徳一が昭和13年に死亡しました。
この「ひとのみち事件」以後、教団内部で意見の対立が起こり、やがて新しく教団を設立する有力幹部なども現れました。
そうした中、第2代・徳近は昭和21年2月、「人生は芸術なり」ではじまる「PL宣言」を発表し、同年9月には「PL(パーフェクト・リバティ=完全なる自由)教団」を立教しました。

■その後の展開

昭和29年に大本庁を設置し、翌年には高校野球で有名なPL学園高等学校を開設。昭和31年にはPL病院の前身である医療法人・宝生病院も開設しています。
しかしその後、第2代・徳近夫婦に実子がなかったため、3代目教祖の座をめぐって内紛が起き、その結果、御木貴日止(みき・たかひと)が任命されました。そして昭和58年、第2代・徳近が死去し、貴日止が3代目教祖に就任して現在に至ります。

教義の概要

■信仰の対象

PL教団では、「大元霊(みおやおおかみ=一切の根元で宇宙を統一した神)」、「教神(金田徳光、御木徳一、御木徳近の三霊)」、「祖霊(全信徒各家先祖の霊を合祀したもの)」の3つを信仰の対象として本部・正殿に祀(まつ)っています。
また信者の家庭では、教祖が魂入れしたという「神霊(みたま)」を祀っています。この神霊には、初信者用と、信仰が進んだ信者用の2種類があります。

■「人生は芸術である」

教団では、2代教祖・徳近による『PL処世訓21箇条』を説いていて、この処世訓(おおしえ)は、第1条の「人生は芸術である」が中心です。
これは、自分の気持ちや個性を物事を通して表現するということで、これは芸術家等に限定されるものではなく、人間生活の一切が芸術そのものであるとしています。
また教団では、「人間は神から芸術する使命を与えられており、各人がその芸術表現を通して自我を離れ、神から与えられた個性を自由に発揮してこそ楽しく生きることができ、それが実現した境地を神人合一、パーフェクト・リバティ(完全なる自由・真の自由)と呼ぶ」などとしています。

■その他

また教団独自の教えとしては、
(1)神示(みしらせ)・・神が警告として人間に与える苦悩。
(2)神宣(みおしえ)・・教祖等によって授けられる、神示の原因を教える神の言葉。
(3)身代り・・教祖等が、信者や教師に突発的に起こった苦悩を、本人に代わって引き受けること。
(4)祖遂断(おやしきり)・・これを唱えると、神や教神の余徳と教祖の力が授けられ、苦悩や災難からまぬがれる。
(5)遂断(しきり)・・信者が物事を行うまえに、必ず成し遂げることを神に誓う。
などがあり、信者は毎日、神霊(みたま)に向かって朝詣と夕詣を行い、その時に声に出して「お・や・し・き・り」と繰り返します。
また「一の日詣」といって、毎月1日、11日、21日には教会に行くように指導されます。さらに信者は必ず班に所属し、「教座(きょうざ)」と呼ばれる座談会に出席し、教団の教えを学習することになっています。
信者は、神に何かを願うとき、お礼を言うときには「宝生袋」に任意でお金を入れ献金します。これをすると、教祖の祖遂断によって利益が得られるなどとしています。

邪宗教である理由

■曖昧(あいまい)な神と礼拝対象物

教団では、宇宙の根本神を「大元霊」としていますが、この神が一体何者なのか、どこに存在するのか、また「教祖によって世の人々は真の救いを得た」などと主張し、教祖との優劣についても不明です。
また2代教祖・徳近は、礼拝対象物を日章マークにしましたが、その根拠も不明です。「私は自分で造形した神を、自分で決定した礼拝形式で私自身が拝みます」などと徳近自身が言っているとおり、すべては教祖の思いつきに過ぎません。
『新宗教の世界』という本で、ある教団幹部は、
「端的(たんてき)に言っちゃえばですね、礼拝するには、何か対象がなければ格好(かっこう)がつきませんでしょう。それでこの形を創ったので(中略)だから何でもよかったわけで、古ゾウリでもよし、ちびたゲタでもよかったんです」
などと語っています。
つまりこの教団は、信仰で最も大切である礼拝対象物(ご神体)ですら、このようにいい加減なものなのです。つまりこれは「この教団の信仰そのものがいい加減である」ということです。

■「身代り」のデタラメ

教団では「身代り」の神事によって、信者たちの病気や惨事をすべて教祖自身に振り替えて解決するなどと主張しています。しかしこの「身代り」は、「御嶽教徳光大教会」の教祖・金田徳光がすでに行っていたもので、PL教団独自のものではありません。
しかも、初代・御木徳一は金田に喘息(ぜんそく)を治してもらったということになっていますが、徳一は終生、他人に隠れて喘息の薬を飲み続けていたという証言もあります。
仮に、教祖がそのような身代りをできるとするならば、現在、100万人を越すといわれる信者たちの病気や苦悩を背負って、教祖は常に病弱で苦悩まみれの境遇でなければならず、生きていることも不思議です。
教団自身が「おしえおやはあくまで人間であって神ではありません」と言っており、生身の人間である教祖にこのような身代りなどできるはずもなく、科学的検証にまったく耐えられないデタラメです。
2代教祖・徳近は「科学的根拠の無いような宗教は其れ自体虚偽」などと言っていますが、この言葉はそっくり自分たちに返ってくることを知るべきでしょう。

■「神示(みしらせ)」の矛盾

教団では「神示」なるものを説き、「人の我(が)や個癖が原因になって引き起こされる自己表現のひずみが、病気・不幸・災難などの形となって現れる」などとし、「心の持ち方しだいで幸・不幸が決まる」などと主張しています。
しかしこの論法でいくと、生まれながらにして傷害や病気を持つ人の存在を説明できません。さらに、不慮の事故や災害でいきなり命を落とす人も多くいるのに、これを「神示」だというのであれば、PLの神というのは実に無慈悲(むじひ)な存在です。

■低俗な処世訓

「人生は芸術である」が中心となる『PL処世訓21箇条』が、この教団の教義の中心になっています。
教団では「自我を離れ、自己を顕現していくところに人生の真義がある」などと主張していますが、「自我を離れる」などというのは人間には不可能なことであり、こういうことをもっともらしく語ること自体、この教団が人間の本質をまったく分かっていない証拠です。「五欲を離れず」「煩悩を即(すなわ)ち菩提(ぼだい=悟り)と転ずる」とする仏教と比べるまでもなく、人間性を無視した低俗な処世訓でしかありません。
また「自己を顕現する」だけで真の人生の幸福が得られるはずもなく、他の条目についても、まったく抽象的で底の浅い、ありきたりの言葉の羅列でしかありません。教祖の悟りと称するものがこの程度であるところに、この教団の教義の低俗さといい加減さが見えます。

以上、ごく簡単ではありますが、PL教団の教義についてその邪宗教である理由を述べました。皆さま方におかれましては、このような邪法邪師の邪義に惑わされることがありませんよう、くれぐれもご注意願いたいと思います。

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