大日本婦人会
 婦人団体で一番早くからあったのは愛国婦人会で、明治34年軍部や近衛篤磨らの後援をえて
 佐賀県の東本願寺派の僧の娘、奥村五百子が発起した兵士やその家族の救護活動を趣旨とした
 官制団体であった。緑の上っ張りに愛国婦人会と白く染め抜かれた紫の襷がトレードマークで、会員
 数は昭和12年末には338万人に達していた。
 昭和7年には大阪の主婦安田せい、三谷英子らの奉仕活動からおこった、大阪国防婦人会ができ
 その後東京にも国防婦人会が発足、これらを軍部が協力し統合して昭和9年、大日本国防婦人会が
 できた。
 また大日本連合婦人会は、昭和6年全国の婦人会、母の会、主婦の会など文部省の監督指導の
 のもとにある6000余りの団体を集めて発足した。
 これら三つの団体は、日中戦争がはじまってから、軍人援護、遺族の救護活動、貯蓄奨励、生活
 の刷新などほとんどおなじ運動をするようになり、会の勢力拡大のための摩擦や対立が生じるよう
 なった。それが問題となり昭和16年帝国議会に建議案が提出され、新婦人団体結成要綱が閣議
 決定され、そのごこの3団体は大日本婦人会として統合された。


左:愛国婦人会バッチ  右:大日本国防婦人会バッチ
大日本国防婦人会たすき
左:大日本婦人会胸章(金属ではない、ベークライト材か?)
右:大日本婦人会袖章
大日本婦人会の会費の領収帳
鎌倉支部、年間60銭、どこの支部でも徴収したのであろうか
昭和17年5月入会(大日本婦人会は昭和17年1月27日発足)
昭和18年、19年と受領印が押されている。
愛国婦人会、出征、入営兵士見送り用、折りたたみ式日章旗
折りたたむと非常にコンパクトになり、簡単に広げられる優れもの
大日本婦人会、東京大森區第二支部
この旗で何人の兵士を送り出したのであろうか
この旗こそ大日本帝国銃後を象徴する物では
ないだろうか。
国防婦人会バック(紙製)
紙製であるがしっかりできている。
紙をこよって太めの糸というよりは紐状にし
て織り込んでいる。
愛国婦人会「処女団」のバッチ

「処女団」とは少々卑猥な感じもするが当時としては婦人会であるので、主婦(既婚者)が主体であって
未婚者をこのように呼んで会員としたのであろうか。