従軍看護婦
従軍看護婦について
昭和12年、盧溝橋事件により日中戦争がはじまり、この時日本赤十字社戦時救護員200名が動員
された。これが、日本赤十字社の看護婦がはじめて組織的に、戦地に派遣された時であろう。
この後、従軍看護婦にはこの日本赤十字社の社員と陸海軍で採用された軍の看護婦が動員された。
日本赤十字社の看護婦は養成所を卒業してから、20年間は戦地へ召集される義務を負っていたので
いやおう無しに日本赤十字社からの召集令状(一般兵士と同じ赤紙で「戦時召集状」と書かれていた)
によって出征させられたため、出産直後で乳飲み子を置いて出征したり、夫にも召集令状がきて、夫婦で
戦地へ赴く羽目になった人もでてきたのでした。(もちろん動員は軍部が日本赤十字社に命令した)
日本赤十字社においては太平洋戦争中960班、29,562人の戦時救護看護婦を派遣、戦死者1,143人
負傷者4,689人とされているがこの他、陸海軍に応召された人々、日中戦争時の派遣人数等をいれると
相当な数になり一説によると、約5,6000人近くが軍務についたといわれている。
戦時救護班の標準編成は、婦長1名に看護婦20名、書記1名で1班を構成していた。
婦長は下士官待遇、看護婦は兵の待遇であったが、古参の婦長は中尉待遇などの人もいて、下士官や
下級将校では頭があがらず、ご機嫌をそこねるとビンタくらうはめになった人もいたという。
戦地へ赴く時の制服や装備品は日本赤十字社の場合すべて日本赤十字社貸与品であったので戦地より
帰還したときは返却しなければならなかった、終戦になり命からがら日本に戻ってきた看護婦達に対しても
返却要求はなされたといわれているが、ソ連兵の暴行を避けるため変装したり、戦後も現地で連合軍の
病院で働かされたりした人もいたりして、全員が貸与品など持って帰れるわけなど無かったのである。
私の知人の親戚で日赤救護員として従軍された方も、持ち帰ることができず始末書まで書かされたと言って
嘆いておりました。
【日本赤十字社看護婦の戦地派遣について】
上記において、「昭和12年の日中戦争が日本赤十字社看護婦がはじめて組織的に戦地へ派遣された」と
記しているが、誤解が生じるおそれがあるため事実に即し詳細に解説したい。
日本赤十字社はこの前進である博愛社がジュネーブ条約加盟を政府に働きかけ実現に至ったため、明治20年
社名を日本赤十字社と改称し発足した。ジュネーブ条約に基ずく最初の救護活動がおこなわれたのは、明治
27〜28年の日清戦争であった。このとき派遣された救護員総数は延べ1,553人うち男の看護人524人
看護婦は690人であったが、看護婦はすべて内地の軍病院勤務であった。
この後の日露戦争の時も看護婦は2,874人派遣されたが病院船と内地病院勤務で戦地へ派遣されたのは、
男子看護人であった。
次に迎えた第一次世界大戦では看護婦の救護班を青島野戦病院に派遣していてこれがはじめて日本赤十字社
が看護婦を戦地に派遣したといえるのであるが、人数は小数のようで期間も短いため今回は組織的(大規模)に
戦地に送り込まれた日赤看護婦は昭和12年の日中戦争からであると表現した。
日本赤十字社戦時救護員防暑用制服
通常用の制服は紺色であるが、これは南方に
従軍した時に着用したものでカーキ色である。
通常制服は靖国神社「遊就館」に展示されて
おります。
ネクタイ部は片側縫い付け、片側スナップ
ボタンとなっている。
袖口にボタンが付いているが、実際は飾りで
スナップボタンにより袖口を絞める。
右側胸部には「日本赤十字社救護員バッチ」
を装着するための環状の輪が縫い付けられ
ている。
裏面襟下にあるタグ
特号であり一番大きなサイズであるが、身長155Cm〜
160Cm位の人でジャストサイズである。
裾下裏側の刻印
「17納分」となっている
昭和17年納入分の意味か
着装例
(日本赤十字社救護員バッチは模造品、靴は代用品。)
従軍看護婦用飯盒
通常の飯盒と比べるとだいぶ小さい
これで炊飯をしたのであろうか、疑問である
おそらく食器代わりに使われたのではないだろうか。
ふたの上に革製スリングと一体となった箸いれがついている
アルミ製の伸縮する箸が入れられた。(箸は欠品)
箸いれの寸法は約9.5センチメートル。
病院船乗組の日本赤十字社救護員
南方某所に上陸時撮影、防暑用制服を着用している。
日本赤十字社戦時召集状
充員召集状(日本赤十字社所蔵品)
「大東亜戦争救護班要員として召集す」と
書かれている。
これにも右写真のような受領書がついていた
のであるが切り離されてミシン目が残っている。
戦時召集状(受領書付き)
「第八救護員交代要員として召集す」と書いてある。
福島支部
日本赤十字社戦時救護員(看護婦)着装品
日本赤十字社救護員章
(日本赤十字社所蔵品)
この救護員章は現在でも制定されており
海外救護へ赴きときに着装しても良い
事になっているそうですが、最近は背中に
大きく書き込まれたベストなどを着用した方が
日赤の救護員だとわかりやすい為使用される
機会は無いという事です。
襟留
(日本赤十字社所蔵品)
防暑制服はネクタイの結び目部分
に着けました。
通常制服は襟の合わさった部分に
着けられました。
襟章(桐花章)
桐花章と呼ばれ桐の花を模っている。
左襟に付けられ、看護婦1個、婦長2個、救護看護婦監督3個
着用と規定されていた。
日本赤十字社社員章(女子用)
制服の左胸に佩用する。
当時の写真などをみると付けていない場合
もあり、公式の場合以外は自由だったようである。
日本赤十字社社員章
小型で帽子等に着けられたタイプ。
帽子については夏用制服の場合、当時の写真を
見るかぎり着けられていないケースが多いように
思われる。
赤十字腕章
これは陸軍規定の赤十字腕章であるが、当時の日本赤十字
社で規定された赤十字腕章も寸法は軍と同じであり同様の
物が使用されたとされている。
日本赤十字社戦時救護員(看護婦)制服と看護衣
通常制服
防暑用制服
看護衣
看護衣
帽子略帽
特殊勤務看護衣
船上等の勤務時に
使用された。