出  征
当時の日本男子は20歳になると、全員徴兵検査
を受けた(一部学生は除かれた)。
これにより振り分けられた若者は、憲法の定めるところ
の兵役義務を、それぞれの区分けにしたがって務める
こととなった。当時の男子国民は40歳まで(終戦間際
は45歳まで)、兵役の義務があった。
甲種合格で現役兵を終えたばかりの予備役は、軍に
とっては最も貴重な戦力である。反対に、徴兵検査
で乙、丙にまわされた第二国民兵役は戦力としての
期待が低い。軍は戦争がはじまると、優先順位に
従って次々と兵役にある国民を召集して、出征させて
いった。かの有名な赤紙によって。
現役兵
(2年)
予備役兵
(5年4月)
後備役兵
(10年)
第一国民兵
第一補充兵(12年4月) 第二国民兵
第二補充兵(12年4月)
20歳・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・40歳
赤紙  充員召集  臨時召集
白紙  演習召集  教育召集  国民兵招集  簡閲点呼
青紙  防衛召集
召集令状と召集の種類
兵役区分(昭和9年)
見送られる兵士の内面とは
裏腹に、このようなのぼり
を持った人達に送られて行った
のであった。
赤紙、臨時召集令状 (複製品)
白紙、簡閲点呼令状
教育召集が終わると
修了証明書が発行された
これによりいつでも出征する
という、精神が保たれたのか。
徴兵検査から40歳で兵役が修了
するまでの長い期間、男子国民を
管理したのは市町村だった。
軍は各市町村役場に「在郷軍人
名簿」を作成させた。
そして兵事係りはこれらを常に
把握することが要求された
特に本人の健康状態は絶えず
把握し変更があれば改正された。
そして兵役区分も変更されたのでは
ないかと思われる。
この補充兵證書は何らかの理由で
予備役兵が補充兵に変更になった
のではないかと想像した?
この人は航空兵である
特に厳しく見られたのであろうか。
修了證
補充兵證書
この令状の右には受領書が印刷されていて、応召者は
受領した日時を何時何分まで正確に記入して押印して
切り離し配達者に渡した、これは市町村が保管し定期的
に処分した。
また上写真の本記部分は、入隊するときに所属部隊に
渡され、そこで一定期間保管した後、焼却処分された。
このため赤紙は現存しているものは少なく、市場に
姿をみせることはほとんどない。
出征時記念写真  
出征時お世話になった人達に対し戦地から発送されたお礼状
應召兵入隊出発日時の通知書

昭和18年8月14日栃木県の壬生駅より
出発する兵士見送りのための通知書で
栃木県下都賀郡壬生町長より町会長に
出されたもの。
臨時召集で入隊する2名の兵士の名前と
戸主との続き柄、壬生駅集合時間および
出発時間が記されている。
この通知により、町をあげての見送りが
行われました。
徴兵検査通達書
日本男子は日本帝国憲法「臣民権利義務」
により兵役に服する為、20歳になると
徴兵検査通達書が配達された。
左写真は受領書が切り離されたものであり
配達されたときは右側に受領書が付いていて
受領年月日を記入して返付された、これには
切り離し用ミシン目が残っており容易に切り離し
ができたものと思われる。
この通達書の発送は戸籍により行われた為、
故郷の町村を出て都会で暮らしている者
にも実家の家族を通じて連絡された。
この戸籍という、世界有数の国民登録制度が
すべての国民を漏れなく兵士に仕立てるために
重要な役割をはたす事となったのである。

裏面には心得(注意書)がかかれている。
ある兵士の出征を現存資料より確認する
この軍歴証明書は、平成16年8月16日申請して
発行してもらったものです。
現在でも旧日本陸軍兵士の場合、「兵籍簿」といわれる
軍隊履歴書が残されていて、応召から除隊までの
事細かな履歴が書き込まれています。
軍隊手牒にも同じように軍歴は書き込まれますが、
終戦時、外地にいた兵士のほとんどは軍隊手牒を
失っておりたいへん重要な資料だと思います。しかし昨今の
個人情報保護の気運により、この兵籍簿の閲覧は
大きく制限されてきてしまっているのです。
これは各都道府県庁に保管されており(軍籍時の本籍地)
最近の傾向として閲覧禁止、近親者のみに「軍歴証明書」
として、兵籍簿を抜粋した物を発行するだけという都道府県
が増えてきています。
この軍歴証明書も昭和19年7月15日より昭和21年
3月26日までの従軍業務がすべてカットされているのですが
兵籍簿には携わった作戦等が詳細に記されているのです。
しかし、出征当時の本籍地さえわかれば、近親者は
復員、死亡にかかわらず兵士の出征状況はわかるのですが
どうも残念な状況になってきているようです。
この兵士は生年月日より、昭和18年に徴兵検査を受け
たと思われる。
補充兵役に区分されすぐには応召されなかったようであるが
昭和19年3月18日教育召集で近衛歩兵第四連隊補充
隊に応召され、約3ヶ月の教育ののち召集解除となるも
すぐに(1週間後)臨時召集の赤紙で同じ部隊に入隊して
博多港より釜山港へ上陸し陸路中国湖南省へおくられた。
【追記】
山梨県出身なのに近衛歩兵第四連隊補充
隊に入隊となっており通常ありえないことなので
再調査をしたところ「東部六十三部隊、町田隊」入隊が
事実であった事が判明いたしました。