隣組(となりぐみ)
  隣組とは国民総動員体制の末端組織で昭和15年より各地で組織されていきました。

  昭和15年9月内務省訓令として「部落会、町内会、隣保班、市町村常会整備要綱」が各都道府県に
  通達されて部落会、町内会、隣保班、市町村常会などに関して詳細な運営基準が決められました。

  これによって、市町村行政の下請け機関としてこれらの会が整備され、さらにこの下部組織として
  10世帯〜20世帯単位の隣組が組織されたのです。
  目的は、祭祀慶弔、隣保親睦相互扶助、矯風修養および慰安、災害防護、市役所や官公署との
  連絡、各種団体との連絡協調、協同の福利増進等とされていました。

  とくに防空については、地域での消防、灯火管制、警報伝達、防護などを担わせて民間防空体制を
  整えていったのでした。
  また生活必需品の配給も隣組を通じて行われ、まじめに活動しない人には配給切符に判を押して
  あげなかったりなど、個人生活の領域まで拘束することができたのです。

  その後昭和17年5月政府は部落会、町内会、隣組のすべてを大政翼賛会の指導下に置くこととして
  当初のねらいは達成されました。
  結局は国策を遂行させる為に政府が利用するための組織だったと言えるのではないでしょうか、
  そして上位下達で国民の統制や動員業務を行ったので、これらの通達事項を徹底するため
  「定例常会」を行うことが義務ずけられていました。
  
  
定例常会用「常会手牒」
栃木県が監修し地元下野新聞株式会社が発行
以下の項目で構成されている。
・皇居二重橋の写真
・常会の誓い
・天壌無窮の神勅
・神武天皇奠都の詔
・教育勅語
・紀元二千六百年に賜りたる詔書
・日独伊三国条約成立に賜りたる詔書
・明治天皇御製
・報徳訓
・貧富訓
・報徳の歌
・常会の開き方
・常会記録(報告や伝達事項を書き込む欄)
・出席証並びに貯金領収書
・所持者記名欄
町内会(隣組)は各地域で独自に会則を決め
各種担当者を選出し市長の承認を得て設立
されている。
その中には会費の徴収も決められている場合
もあり、これには貯金受領書となっているが
おそらく会費に相当するものであろう。
町内会、隣組を機軸とする各種住民組織は、戦時体制の協力実戦の末端装置として、出征兵士
の歓送迎、防空演習、防諜、住民登録、国債の消化、、貯蓄奨励、供出、政策伝達等の役割を負わ
されていくことになる。そして「府県・・・・市町村・・・・町内会(部落会)・・・・隣組」という体系は、
「常会」をとおしてその活動を期待されていくことになる。

この常会というのは、時局の認識、相互教化、隣組相互扶助の美風涵養、上位下達、各種団体の
調整のため、一定の日と時間と場所とを定めて常例的におこなう会合のことであり、これによって国民
の統合をはかっていこうというものである。したがってその運営も、けっして住民の自発的な創意にまか
されるというものでなく、日時、場所、出席範囲、司会、進行順序まで細かく指導されており、画一化された
ものであった。このことは隣組常会が、いわば国民統制のための基礎的な単位として、国策の遂行の役割
を負わされている以上とうぜんのことであったともいえる。
(杉並区区史より引用)
隣組回報(回覧版)
小石川区の回報である、このほか東京市の回報もありそれぞれの担当により
連絡事項が記され回覧された。
これは昭和16年7月発行の小石川区役、所厚生課、保険係発行の「防疫強調運動」
開始の連絡である。
この運動は東京市、と警視庁の協同主唱でおこなわれ、このころは赤痢、腸チフス
が多く発生したようで「現下総力戦遂行上一人として落伍者の無い様健康を維持する為」
と銘打っておこなわれた。
冒頭には「聖戦既に五年一億一心総力を挙げて懸命の努力をつ続けつつ」と記されており
日中戦争より5年という事であろう、この事から昭和11年より戦時体制に入ったという意識の
日本というものが、うかびあがってくるのではないだろうか。


町会隣組常会通信
昭和16年5月15日発行
東京市は毎月1日と15日に発行した
この号では「東京港開港、防諜週間、海軍記念日、郵便貯金週間」など
の記事が掲載されている。
中に「回報解説」という事項があり、これにより常会においてすでに回覧された回報
の説明をお願いしますとあり、末端の人々までには配布されなかったのかもしれない。