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養生
陰陽

一、養生

 辞書を引くと、「養生」の意味は、単に身体の健康の増進を測ることや、病後体力の回復を測るとしか書いていません。
 実は、養生という言葉は気功の分野に、その意味がもっと広く、もっと深いです。
 中国では発音さえ異なり、養生(ヨウジョウ)ではなく、養生(ヤンスェン)です。
 気功の世界中に、身体を健康にするためのすべての努力は養生の一部と考えられます。例えば、漢方薬を飲んで身体のバ
ランスを整えること、菜食や少食をすることで内臓に余計な脂肪を減らすこと、適当な運動をして体の血液の循環を良くす
ること、気功の練習で病気を治し、健康を守ること、規則のある生活を送って元気を守ることなどです。

 身体だけではなく、精神状態をゆったりすること、及び清めることのすべても養生のもう一つの部分と考えられます。例
えば、道徳倫理を守ること、両親を大事にすること、人のために良く働くこと、譲り合うこと、争わなくて人と仲良くする
こと、よく我慢することなどのルールを従うことなどです。

 養生は、生を養います。つまり、生きること、生活そのものに関するさまざまの面を養う意味です。
 ですから、養生の中には様々な面からの養うことがあります。
 例えば、肉食を減らし、野菜を増やし、少食と粗食をする習慣で内臓のバランスを良くするためのことと、漢方薬や健康食
品を飲んで身体の病気を治し、健康を維持するための方法は養形と呼ばれます。ラジオ体操、太極拳、瞑想法、ハイキング、
スポーツ、呼吸法などのさまざまな健康法と運動を行うことで、身体の健康を目指す方法は養身と呼ばれます。仕事や人間関
係などの物事に対して、無理することをしなく、すべてが流れのままにするという大自然の力に順行し、より自然体に近い心
境にするための方法は養心と呼ばれます。雑念や煩悩を治め、道徳倫理に合う正念を持つ修練の方法と、精神状態を静かにし
、清潔にするための修練は養神と呼ばれます。謙遜な気持ちを持って人と接触し、わがままや自慢などの気持ちを無くすため
の修練方法は養小と呼ばれます。心にある優しい気持ちを増やし、他人に対する憎しみや怨みを無くすための修練方法は養柔
と呼ばれます。色々な困難や苦難に負けず、どんな大変なことや試練が遭っても、自らの信仰と初志が変わらないための修練
方法は養剛と呼ばれます。ゴミ、死骸、排出物などの悪臭が出るものから離れ、身心を淨化し、自らの気の質をもっと柔らか
く、自らの気の範囲をもっと広くするためのことは養気と呼ばれます。人の利益を奪うことと、人に傷害を与えることを行わ
なく、善行をし続けるための修練は養善と呼ばれます。貪欲を絶やして異性に対する性的な関心を減らし、怒りを控えるため
の修練は養精と呼ばれます。自らの心身を健康状態に保ちながら、寿命を伸ばすための修練は養寿と呼ばれます。

 また、我々が暮らしている生活環境の中に存在している色々な気に対して、健康に悪い影響を与える邪気、濁気、霊気、寒気
などの気を認識して避けること、健康によい影響を与える天の気、地の気、太陽の気などの気を認識して受け入れること、或い
は周辺のすべての気と調和し、衝突を起こさないことも、養生の一部と考えられています。

 養生ができる人は、何時でも何処でも養生を行います。そして、養生の道に沿って深く入ることが出来ます。この道は、@
肉体を健康にすることA精神を浄化することB大自然の気を運行することC真空や空中にある気を認識して悟ることD(ダオ
)の気と一体になって仙人になることE寿命を百年、千年、一万年、永遠のところまで伸ばすことなどです。

 養寿について、気功の達人施有吾と希聖が書いた『西山群仙会真記』に、養寿の修練を三つの段階に分けると説明しています。
これは「大寿を得る人は一万二千才生きられ、中寿を得る人は千二百才生きられ、小寿を得る人は百二十才生きられます」と
書かれています。 


二、陰陽

 陰陽の理論は、古来の中国では気功の世界での理論だけではなく、天文学、暦法、医学、軍事学、哲学、文学、風水、算命学などのほとんどの分野に影響を与えています。

陰陽は、大自然のひとつのルールとして、いろいろな規律を表す存在です。
 
自然界の全ての存在はそのルールや規律に覆われ、そのルールや規律に従いながら自らの存在を維持しています。
 
先ず、陰陽は、一つの存在の二つの側面を現します。
 
例えば、地球の表面は、半分がいつも太陽の光の中にあり、後の半分がいつも影の中にあります。
 
この明るい半分と影の半分を同時に考えるとき、太陽光に照らされている半分は陽と考え、影に覆われている半分は陰と考えられます。
 
また、一日の中に、昼と夜という二つの部分があります。
 
昼のとって、夜の存在は陰となり、反対に、夜にとって、昼の存在は陽となります。
 
人の調子は良いときと悪いときがあります。
 
調子の悪いときにとって、調子の良い時は陽と考えられ、調子の良いときにとって、調子の悪いときは陰と考えられます。
 
こういう一つの存在の二つの側面による陰陽は、どんな物の中にも存在します。
 
簡単に表にします。
 
人の二つの側面に関する陰陽:

陽の面:

体表

背中

六腑

心臓

内気

骨格

健康

明るい

喜び

幸せ

陰の面:

体内

お腹

五臓

腎臓

血液

筋肉

病気

暗い

怒り

苦しい


自然の二つの側面に関する陰陽:

陽の面:

晴れ

お湯

和風

山頂

新緑

陰の面:

西

曇り

氷水

暴風

落ち葉

次、陰陽は、二つの存在の異なる属性を現します。
 
例えば、硬いものと柔らかいものを比べるときに、普通硬いものを陽と、柔らかいものを陰とします。
 
重いものと軽いものを比べるとき、普通重いものを陰と、軽いものを陽とします。
 
熱いものと冷たいものを比べるとき、普通冷たいものを陰と、熱いものを陽とします。
 
力のあるものと力のないものを比べるとき、普通力のないものを陰と、力のあるものを陽とします。
 
二つの存在の異なる属性による陰陽は数えられないほど多いです。
 
簡単に表にします。

陽の面:

太陽

少年

幸運

硬い

運動

積極

主動

清潔

軽い

陰の面:

老人

凶運

柔軟

静止

消極

被動

汚れ

重い

陰陽は万物が存在するための規則として、全ての存在を含め、世界や宇宙を作り出す一つの重要な元素となります。
 
ですから、中国の伝統医学の世界で、聖書のような聖典『黄帝内経』の中に、「陰と陽の存在は、天地を走らせる道となり、万物を生かせる大綱となり、ものを変化し続ける根源
となり、すべての存在を有→無→有……という無尽の循環を転換させる根本的な動力となっています」と書かれています。

 
陰陽は、この世界にあるすべてのものの中に存在し、全てのものの中から現れます。
 
更に、陰陽では、相手の存在や側面を自らの存在認識するための土台となっています。
 
例えば、男性があるから女性があり、昼があるから夜があり、光明があるから影があり、善があるから悪がありす。
 
つまり、もし、男がなければ、女という概念もありません。
 
昼がなければ、夜の概念もないでしょう。
 
光がなければ、影の存在もありません。
 
善は、悪が存在するから善を感じられます。
 ‥‥‥
 
また、これについて、『黄帝内経』の中に、「陰と陽は、数えれば十ほどあります。そして、それを推理すれば百ほどまで増えます。更に、百を数えれば千まで増え、推理すれば
万ほどまで増えます。こういう風に、続けて推理すると万より大きくなって数えられなくなります。が、その根元はたったの一つです」と書かれています。

 
要するに、陰陽は、数えられないほど数が多いけれども、根本はたったの「一」です。
 
この「一」は何でしょう。
 
これは物事の二つの側面が、対立しながら相手の存在を支え、一つの側面がなくなると、もう一つの側面が自然になくなるということです。



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